ふと時間ができた時にいつも行きたくなるのは、海。
波の音を聞いていると、嫌なことも忘れられて、寄せては返す波に心を寄せたくなります。
二十代の頃、オーストラリアに短期留学をした時、最後に行ったゴールドコーストの砂浜。
あまりにも綺麗で、裸足で歩いていると砂のサクッサクッという音が、地に足がついている実感を噛みしめているようで、全てが心地良かった。
家事は、食器洗いや洗濯が好き。水の流れる音を聞いていると、汚いものまで一緒に流してくれる感覚があって、自分まで浄化されるようで嬉しくなります。
「水に流す」、あまりにも辛い事があると、そんなには簡単に消化できなかったり、ちっぽけな自分がさらに情けなくなったり。でも、目を閉じて海を想像すると、もしかしたら流せられるんじゃないか、いつまでも引きずっていないで、もっとこれからを楽しもうよ!って、広大な海に言われているような、不思議な気持ちになることが・・・。
大学時代、運転免許を取得した時、どこにでも行けてしまいそうな、すごく世界が広がったような気がしました。深夜に運転していると、少しだけ大人になれた気がして、静まり返った海に辿りついた時、子供と大人の狭間にいるような、私しか知らない場所を手に入れた喜び。
また頑張ろうと思えるまでずっと波の音を聞いていたことも。
今は一人じゃないから、一日一人で過ごすことってなかなかできなくて、それもまた幸せなことなのだけど、丸一日出かけていいよ!なんて言われたら、飽きるまで海にいるだろうな。
ちょっと出かけてくるねと母に行って、ふらっとこだまに乗って海に行った十代、すごく綺麗だったと話したいのに、怒られるのが分かっていたから今でも内緒。
欲しいものを何も買わなくて、こっそり貯めていたお小遣い、堪らなく嬉しかったあの日。
腕時計もスマホも要らない自分だけの場所、そこに行けなくても、行ったような気持ちになれる心のオアシスが、日常の何気ない原動力になるのかな。
すごく綺麗な場所を共感するのもいいけど、独り占めするのもなんかいい。
1パーセントも頑張らなくていい場所。
自分のことを好きでいられる場所。
嬉しいことがあった日は、その出来事を思い出し一日が終わる。
嫌なことがあった日は、行きたい場所をこっそり思い出し、夢を見て眠ろう。
きっと、今日より良い日になる。
そうだ! 海に行こう♪