冒険してみた

今年の夏休みは、休校の影響もあって16日間。その凝縮された中で、なんだか思うように自分自身が波に乗れず、苦戦しました。どうもリズムが崩れると睡眠を直撃してしまうらしい。思うように起きられず、息子の宿題を見た後、もう一度寝かせてとお願いすると、また~?と言いながらも渋々分かってくれて、ディズニーのテレビを観てくれていました。その30分間がね、あなたと私の絆を深めるんだよ。理解してくれたことを、今度は別の形で返したい。一方通行にはならないように、お互いがわがままを言い合い、一緒に笑えるように。

そして、何とか気分を上げていこうと、夫も夏休みのタイミングで、夜カフェで記事を書いてもいいかと聞いてみると、すんなり分かってくれてほっとしました。「たまには違う空間で、普段行けない場所や時間でパソコンを広げたいんだ。」10説明しなくても、この1行に詰め込んだ気持ちを受け取ってもらえることは、素直に嬉しい。ありがとうを忘れないでいよう。
そして、慌ただしく夕飯の準備をし、車で隣の市にあるカフェへ。近いからいつでも行けると思っていても、なかなか行けず、近いのに遠かった場所。久しぶりに冒険できた気がして、ようやく少し肩の力が抜けたようでした。また会えたね、タリーズのアイスクリームくん。

そこで色々な気持ちが交錯し、行き着いたのは大学図書館にいた頃に慕ってくれていた男性の同僚でした。年齢が私よりも下ということもあり、お姉さん的存在に思ってくれたのか、話しやすい人だと感じてくれた彼が、ふとしたタイミングで弱音を吐いてくれました。「実は僕、圧迫面接を受けたことがあって。なんかとんでもなく自分がダメな人間なんだと感じて、それから自信を無くしてしまったんです。」「○○さんがダメなんじゃなくて、その人がおかしいんですよ。悪気はなかったんでしょう、でもそれを受けた人がどれだけの衝撃を受けるのかなんてまるで分かっていない。そういう人に対して、悲しむのも怒るのもばかばかしいじゃないですか。たった一回のことで、あなたの人生が狂うなんて、私は許せないし、時間はかかるかもしれないけど忘れてほしいと思っています。絶対その人頭がおかしい。○○さん、誠実で責任感も強いし、何も不安を感じることないですよ。」図書館だということも忘れて私が怒り狂うので、逆に制止されながら笑われてしまい、最後に言ってくれました。「今まで誰にも話せなかったことだったから、聞いてくれてすっきりしました。そんなに怒ってくれて、なんだか忘れられそうです。」それは良かった。スーツも似合っているから大丈夫、となんだかよく分からない基準まで心の中で飛びだし、一緒に笑ってお別れ。これだよね、人のわだかまりがあっけなく取れる時って。投げてくれた球を、本人にではなく、とんでもない所に飛ばして、二人で笑うのもたまにはいいのかも。気持ちいいぐらい、もう見えなくなるぐらい、フェンスの向こう側に投げるよ。

私を娘のように可愛がってくれていた血の繋がらない親戚のおばさん。まだ名古屋にいた頃、その旦那さんがずっと患っていた心筋梗塞で、釣りに行っている間に倒れました。救急車で運ばれ、なんとか一命を取り留めたよう。その話を聞き、慌てて自宅へお見舞いに向かうと、いつもと変わらない笑顔で迎えてくれた穏和な老夫婦がいました。「おお、S元気だったか?」「いやいやこっちのセリフだし。本当に心配したんだよ。今は大丈夫なの?」「急に心臓が痛くなって、そこから記憶がないんだよ。でもな、途中で気分がよくなって三途の川が見えたんだ。人が亡くなる時って本当に見えるのかもしれないなって思ったよ。でも、何かまだやり残したことがある気がしてそれが心残りでな。それで我に返ったら、病院のベッドの上だったんだよ。S、いいか。人生は短い。そしてあっけなく終わる。自分の最期に、いい人生だったと思えるまで頑張れ。その時に後悔を残すな。お前は沢山我慢をする。本当にこれで良かったと思えるところまで進め。俺は、死の淵まで行ったから伝えられることもあるんだよ。」それを言われ、何も言葉が出てきませんでした。そして、近くでお茶を出してくれたおばさんがふふっと笑ってくれて。ああ、残された時間を二人で生きていく為に戻ってきたんだね。その距離感が、時間が、あまりにも優しくて、尊くて、二人だけの喜びも、越えてきた大きさも、何もかもがそこに詰まっているようでした。

そして、数年後、おじさんは畑仕事の途中で心臓が痛み、戻った車の中で永眠。二人だけにしか分からない、計り知れない夫婦の愛を見せてもらった数年でした。その間にも伝え続けてくれたおじさんの言葉。「後悔のない人生を送れ。親の為じゃなくて、お前の人生を送れ。これは俺からの遺言だ。」そんな言葉を残そうと、三途の川から戻ってきてくれたの?
自分の為に用意された道は、誰の手の中にもある。どんな時も忘れないでいなくては。