痛みもくるんでいく

息子が学校からもらってきたプリントの中に、野外活動の写真の注文用紙が入っていました。無造作にテーブルに置かれた何枚かのプリントを見て、私の手が一瞬止まると、その様子をそっと見ていた息子。学校で彼が受け取った時、チクリと胸が痛んだことが分かりました。まだ、引きずっていたんだね、そうだよね、その写真には自分が写っていないのだから。時間がかかってもゆっくり楽しいことを見つけて解していこう、そう思いました。するとまた別の日、宿題プリントに先生からのメッセージを発見。『Rくん、おだやかに、にこやかにすごしております』とこれまたにこちゃんマーク付き。息子が何事もなく頑張ろうとしていること、そしてそのことをこちらが気にしていること、先生は分かった上で添えてくれた言葉に、胸がいっぱいでした。残りの時間、どのような形でお返しできるだろうか。ポストシーズンも野球談義で盛り上がることにしよう。

そんな先生が以前、道徳の授業で大谷選手の話をしたと教えてくれたことがありました。私達にもたらしてくれるその大きさに驚く毎日。大谷選手が手術をしなければならない怪我が発覚した時は、息子と落ち込み、それでも流れてくる情報には確実に光がありました。心配になったヌートバー選手は、水原通訳にメッセージを送ったとのこと。その返事は、『心配はいらないですよ。もっと強くなってまた戻ってきますから!』というものだったそう。ヌートバー選手がその言葉に勇気づけられたというように、こちらの心配のさらに上をいく安心と希望と強い心を見せ続けてくれる大谷選手と、そばでサポートをし続ける水原通訳との関係性に泣きそうでした。そして、息子は大谷選手ロスと、エンジェルスロスに陥ったものの、来シーズン初めには打者として復活してくれることが分かると伝えてきました。「ボク、大谷君と同じ時を生きていられて嬉しい。」と。そこにはいろんな思いがあって、沢山のものが流れ込んできて。熱狂したWBC、その時の異次元のすごさはそのままシーズンにも繋がっていきました。毎週末観ていたメジャーリーグ、その中で息子が伝えてきて。「ピッチャーとしてもバッターとしてもすごすぎるんだけど、大谷君、足も速いんだよ!」これは息子の大きな胸キュンポイントになっていたよう。ランナーで出て、二塁にも三塁にも盗塁を決めてくれた時は二人で大盛り上がり。「ボク、二盗三盗できるのって周東君(ソフトバンク)だけだと思ってた!!」と感激の様子。可能性は無限なのだと、プレーで魅せ続けてくれる大谷選手の快復と活躍を日本から祈っています。

この時期になると、いろんな方の引退報道を目にし、いつかそういう日が来るのは分かっていてもやっぱり寂しいなと。そんな中で、ロッテの場内アナウンスを担当されていた谷保さんが引退されると分かり、ひとつの試合が思い出されました。それは、サブロー選手の引退試合、最終打席でのこと。沢山の思いが溢れながらバッターボックスに向かおうとする中で、谷保さんが届けた「サブローーーー!」のコールを聞き、アナウンス室に向かって親指を立てたサブロー選手。その時、アナウンス室にいた谷保さんが感極まった瞬間は、ずっと心の中にあります。一緒に戦っていた仲間であり、気持ちよく毎回の打席を送り出してくれていた谷保さんへの感謝の気持ちがそこにはあり、私も泣きそうになりました。そして、サブロー選手はツーベースヒット、それは谷保さんの気持ちも乗せた会心の当たりだったと思っています。今年の夏、息子と行ったモバイルパークでの楽天の対戦相手はロッテでした。息子とアスレチックなどで遊んでいると見かけたのは、イーグルスのユニを来た若い男性とロッテの佐々木朗希投手のユニを着た友達で、チームは違っても応援する気持ちは同じなのだと思いました。座ったのは楽天の応援側である三塁席、そこからはライト側で応援するロッテファンの方達が良く見え、アウェイの球場でも一体感がすごく、息子と感動しました。そんなロッテファンの方達がずっと聞いてきた谷保さんのアナウンスが無くなるのは、こちらが思っている以上に寂しいものなのだと。チームを越え、沢山の野球ファンの方達に愛されてきた谷保さん、いつも愛情こもった柔らかい声のアナウンスをありがとうございました。

さてさて、息子は今になって野球チームでの出来事をぽつりぽつりと話してくれるように。「実はね、ボク、ピッチャーもやったことがあったの。練習でなんだけど。」「え~!そうだったの?!」「うん。監督がキャッチャーをしてくれたんだけど、ワイルドピッチを10回ぐらいしてしまった~。」監督ごめんなさいね~と今さら心の中で謝ってみる。「でね、キャッチャーもしたことがあったんだけど、球を受ける時恐かった。やっぱりボクはライトが好き。」色々なポジションに就かせ、そこから見える景色と感覚を監督は教えてくれていたんだな。練習を見に行くと、ライトの守備の隣に若いコーチが就いていてくれました。またある時は、ショートのポジションに息子を含めた小学男子が3人守っていたことも。あれは特別ルールなのか?!と思いながら、砂だらけで帰ってきた息子に聞くと、ちゃんと試合していたと言われ、大爆笑。いやいや、野球って9人でしょうよ。その後、コロナ禍になり、長い期間息子は考え、退団を決めました。その決断を今でも応援していて。その後、学校の音楽会でたまたまコーチと再会。その方は息子と同級生のお父さんでした。本当にお世話になったこと、そしてこれからもお友達としてよろしくお願いしますと伝えると、同じ温度で返してくれました。R君のこれからも僕達は応援してると。あたたかさに触れ、人はこうやって成長し、前に進めるのかもしれないなと思いました。
痛みも、別れも、次のステップには大事なものであったりして、肥やしにしていけたなら。みなさんが抱える辛さも、この場所を訪れてくれる時、そっと包まれますように。