第一パラグラフはね、ウォーミングアップ的に書きたいのだけど、そうも言っていられない日常があって、こうなったら開き直って思うがまま書いてみようと思うこの頃。読んでくださる方が、重たくならないようにという配慮は忘れずに。良かったら、のんびりついてきてくださいね。
MRIの検査までまだ日がある中で、週末の朝激痛が走り、慌てて産婦人科へ電話をしました。すると、電話を取ってくれたのは、この間採血をしてくれた陽気な看護士さん。その声を聞いただけで、不安と背中合わせだったので泣きそうになりました。状況を説明すると、土曜日は産科しかやっていなかったものの、その中で診てくださるとのこと。市販の痛み止めがあれば、それを服用してきてほしいと心配しながら言って頂き、本気で救われました。こういう時は、労りの気持ちが何よりも心の薬になることを知っている人なんだなと。
その後、薬がやんわりと効いてきたので、息子を夫にお願いし、病院へ行ってきました。やはり、MRIを撮って、立体的に見てからしか具体的な治療方針は決められないけど、緊急手術をする段階ではないから、今は痛み止めで凌いでほしいとのこと。落ち着いて話してくださる初対面の先生の口調に、少しだけ冷静さを取り戻したようでした。色々な段階を踏むしかないな。なんだか少し、いつものふつふつと沸き上がるエネルギーが戻ってきたよ。なんだ、今はあれこれ考えても仕方がないじゃん。
そんな気持ちで帰宅をすると、息子が心配そうに寄って来てくれました。「ママ、大丈夫だった?さっきよりも元気そうで、ボク安心した!」ここにも心の薬があったのね。あなたのは、明るさのおまけつき。母親をやっていて良かったなと、また思わせてくれたね。「うん、ありがとう。少し良くなったみたい。心配かけてごめんね。」「いいよっ。」小さなハグは、優しさの交錯。
息子との喧嘩にはちょっとした波があり、一度あると連日繰り返されてしまうというパターンが待っていた年の瀬。学校で頑張ってしまう反動がまだ出る影響からか、夕飯を食べ、宿題の時間になる頃にぐずりだすという展開が待っていました。またかと思うと、その気持ちが彼にも連動し、なんとなく二人でやり合ってしまうことでお互いがすり減っていました。そして、さすがにこのままではよくないと思い、負の連鎖を断ち切ろうと穏やかに冷静に話してみました。「Rもお母さんも、喧嘩するのいやだよね。二人とも悲しい気持ちになるでしょ。もっと落ち着いて話したら、分かり合えると思うんだ。だから、当分やめにしない?仲良くしようよ。」すると、笑ってしまうぐらいこちらのいうことを理解してくれた息子は、あっさり納得してくれました。あのバトルは何だったんだ?!でもね、これだけ言いたいことを言い合って、それでもお互いが好きだよって思える関係も素敵よね。母のことで、我慢することが美徳だと思わせてしまっていたらどうしようと思っていたものの、私の前では本気で負の感情をぶつけてくる息子を見て、大変さの中にある嬉しさもあったような気がしています。子供らしくてよし。でも、ちょっと和解期間を長めに取ろう。
そういったことで安堵していたここ最近、自分の子供時代はどうだったのだろうと振り返ってみると、姉との珍事件が蘇ってきました。夜ご飯が天ぷらだったその日、姉が用事で、先に食べることになり、テーブルにあった大皿には、おかずが減った後がありました。そして、自分も食べ終わった後、母に聞いてみました。「今日は、さつまいもの天ぷらがなかったんだね。」「えっ?作って並べておいたわよ。」「なかったよ・・・。ああ、1レーンだけごっそり無くなっていたのは、さつまいもだったの?!」「やだ、あの子、野菜嫌いだからさつまいもしか食べていかなかったの?しかも1つぐらい残しておこうとか思わなかったのかしら。」「証拠隠滅なんじゃない。」悪口を言いながら、一緒に笑うしかない。ずる賢い姉には慣れていますよ。その話を以前父にするとこれまた大爆笑。「お父さんが知らない所で、お姉ちゃんそんなことばっかりだったんだよ。カナダから帰国して一時期実家から新しい職場に通っていた時、私が塾の講師をしていた頃、その日の夕飯はハンバーグだったの。楽しみに帰ってきたらテーブルになかったんだよ。それをお母さんに話したら、Sの分はちゃんとお皿に置いておいたっていうの。でね、なんとなく冷蔵庫を開けたらお姉ちゃんのお弁当箱があったから、まさかと思って見てみたら、私のハンバーグが入っていたんだよ。どういうこと?親の顔が見てみたいわ。」そう話すと、近くにいた母も一緒に大笑い。「すみませんね、こんな親で。」と二人に言われてしまった訳で。
あなた達二人が、違う方向を見ていても、姉妹で沢山悩んで笑って、成長してきたんだよ。そして、姉が出て、父が出て、母と祖父の3人暮らしの中で、姉がまた帰ってきた時のエピソードは、ある意味貴重なんだ。父が見えなかった経過、それをこんな風に笑い合えることに、時の流れとまた交わった時の喜びを感じました。川と川が合流する時、そこには何とも言えない美しさもあるような気がして。人の気持ちに鈍感な父も、交わった時の説明のつかない幸せは分かるはず。その時何があって、どう感じたのか、こうなったら小出しにしていくしかない。娘ではなく孫から教わった時、ようやくはっとしてくれるのかも。
さつまいもの天ぷらもハンバーグも、姉には怒らなかったよ。どうしてかって?負け戦には出ないというのが一つの理由。もう一つは、小さい時に沢山わがままを聞いてくれたお礼。「あんた、泣けば許されると思ってるでしょ!」と怒りながらも宥めてくれた愛情の蓄積が私の原点だから。