野球を愛すること

息子が私と野球をやりたいと言い出し、近くの公園でカラーボールと柔らかいバットを持って本気の練習が待っていました。プニプニのボールなのでそんなに飛ばないかと思いきや、フルスイングをするので呆気なく飛んでき、ロングスカートを履いた状態で右往左往。「ちょっと~。取る方も大変だから交代する!」と言うと、おとなしく代わってくれたので、こちらもスイッチが入ってしまいました。すると、ボテボテのゴロからライナー性の当たりに変わり、ホームランを打つと、息子がぽつり。「ママのこと、舐めていた。」そう言われ、大爆笑した楽しい野球の時間でした。「ママ、ピッチングだけうまいと思っていたら、バッティングもできるんだね!」「意外とできるんだよ。」高校の男友達がバッティングセンターにいつも誘ってくれたからね。小銭を握りしめ、自転車に乗ってバッセンに通った学生時代。どれだけ嫌なことがあっても、いい当たりが出ると、跳ね返せたことが嬉しくて、それだけで吹っ切れたようでした。無になるということ、白球がそれを教えてくれたのかもしれないな。

そんな毎日の中で、左肩に筋肉痛が当たり前になりながら、科学館を見つけたので電車に乗って二人で行くことになりました。有難いことに息子が好きな工作教室もやっていたので、予約を入れてから科学に関する実験を楽しみながら待つことに。時間になったので工作室に入ると優しい男の先生が二人。他の子と授業のように挨拶をした後、電動のこぎりの練習が始まり、こちらの方がワクワクしてしまいました。段ボールで使い方に慣れた後、木材を切ってマグネットを装着するという実践編に9歳児の表情は真剣そのもの。ものづくりから何かを得てくれたらいいなと思いながら、1時間はあっという間に過ぎ、なかなかの力作が完成しました。作ったものが形になり、持って帰ってもいいというのは先生達の配慮で、達成感が自宅に帰っても持続しているっていいなと嬉しくなって。みんなよりも下手な作品ができ、先生飾らないで~といつも思っていた小学校時代。それでも、岐阜の小学校にいた男の担任の先生は、ゴムぞうりをえのぐで描いた私の作品をみんなの前で褒め、そして少人数しか貼れないロッカーの上に掲示してくれました。「綺麗に塗ればいいというものじゃない。ゴムぞうりは履けば履くほど色褪せていく。Sちゃんの作品には味があるんだよ。」いやいや先生、上手に塗れなくてムラがあるのはただの下手くそですよと心の中で思いながらも、苦手意識を持たずにもっと自信を持てという先生のメッセージだったのかと感じました。苦手なことで引きずられるのではなく、自分が思っているよりもそうじゃないよ、そう思えたらきっともっと笑えるようになるから。少し引っ込み思案だった私を前に出してくれた先生は、キラッと光ったものを見てくれたんだろうな。

そして翌日、久しぶりに野球チームに行く気になってくれた息子の様子を短時間だけ見に行こうとグラウンドへ向かいました。すると、珍しくセカンドのポジションへ。コーチがサードから順にノックをしていくと、息子の順番がやってきました。「次R、行くぞ!」そう言われ、それなりにスピードのあるゴロをさばき、ファーストへ。ナイスフィールディング!ブランクなんてなんのその。自主練をやってるからね~なんて笑いを堪えながらその場を離れようとすると、息子が小さくバイバイ。見ていたよ、あなたの頑張りもいいチームだということも。手放すのは簡単なこと、せっかく出会えた人達だから、辞める時は次の目標が見つかってからにしよう。そうしたらきっとみんなが応援してくれる。あなたの仲間はそういう人達でしょ。心の中で呟き、気持ちよくその場を離れました。その後、砂だらけで帰ってきた息子のユニフォームを洗い、また電車に乗って別の公園でのこぎりを使った工作やサッカーを楽しみ、へとへとになって帰宅。息子を寝かしつけ、ようやくソファに座りテレビを点けると、ロッテの佐々木朗希投手が完全試合をやったというニュースを見つけ、釘付けになりました。東日本大震災があった日、岩手県陸前高田市の小学校にいた佐々木投手。津波が押し寄せ、学校のみんなで高台まで避難し、お母さんは無事でしたが、自宅は流され、お父さんと祖父母の方が亡くなったことを以前ニュースで知り、胸が潰れそうでした。避難所で大変な生活をする中で、彼の支えは野球だったそう。
『あの頃のことを思い返すと、こうしてプロ野球選手として野球ができる日々を本当に幸せに思います。ただ今あることは当たり前ではありません。だから毎日、目の前の時間を大切にするようにしています。生きている身として亡くなった人たちの分も一生懸命に生きていかないといけないと思っています。最後に日本全国、そして世界の人々に支えてもらったことへの感謝の気持ちを私は今後も忘れません。これからはプロの一軍の舞台で活躍することで支えてもらった方々に恩返しをして、東北の皆さまに明るい話題を提供できる存在になれるよう頑張ります。』(2020年4月2日産経新聞より一部抜粋)
佐々木投手が、このような気持ちを抱き、マウンドに立っていることを知っていたので、一軍で完全試合を成し遂げ、彼の全ての方への感謝を途轍もなく大きな形で見せてくれたことに胸がいっぱいでした。キャッチャーは、高卒ルーキーの18歳松川虎生捕手。「真っすぐを生かして、フォークで三振を取れる部分もあった。いいところをしっかり引き出せたかなと思う。」キャッチャーというポジションがどれだけ重要な役割を担うのか、そして試合後のインタビューで20歳の佐々木投手が、「最後まで松川(捕手)を信じて投げた。」と伝えてくれたことに、バッテリーの何とも言えない信頼関係を感じました。

野球を通して、佐々木投手が届けてくれた想い、津波から高台に避難した一人の少年がやり遂げた完全試合は人の心に深く刻み込まれただろう。避難所で借りたグローブ、そこから彼の完全試合は始まっていたのかもしれない。