誰かとの待ち合わせ

土曜日、息子がラーメンを食べたいと言い出したので、お友達と遊んだ後、現地で待ち合わせることにしました。最近スマホをゲットしたので、これならすれ違うこともないだろうと思い、伝えることに。「いつものお店の場所分かる?」「大丈夫だよ!」と自信満々だったので、時間を合わせてお店の前で集合の約束をし、玄関でバイバイ。そして、パソコンを開き、時間になったので先に行って待っていると息子からメッセージが入りました。『○○(店名)ってどこ?』その文面を読んでずっこけそうに。やっぱり分からんのか~い!と思いながら、近くの公共施設にいたことは分かっていたので、そこまで迎えに行くよと伝えると、『いやわかった』という返事が。どっちやねん!と笑いながら待っていると、交差点の向こう側でこちらに気づきほっとした彼が自転車でやってきました。会えてほっ。そして、美味しくラーメンを食べ、恒例になってしまったコンビニスイーツへ。予算を伝えると、スマホを取り出し始めたので聞いてみました。「何するの?」「計算機使いたいんだよ。」令和の小学生、暗算しましょうよと笑ってしまった夜。スマホの画面だけでなく、面と向かって沢山話したから、まあいいか。

待ち合わせと言えば、子供の頃にやらかしたことが思い起こされました。まだ、家の電話しか連絡手段がなかった頃のこと。母と姉が名古屋駅で待ち合わせをすることになっていたものの、思うように会えず、それぞれから自宅に電話がかかってきたことがありました。自分がいる場所を伝えてきても、よく分からずそれっぽいことを伝言することになり、結局会えず彼女達はイライラ。すると、父が帰宅し状況を説明することに。その後、再度二人から電話がかかってくると父が受話器を取り、ひと言。「ナナちゃん人形で待ち合わせだ!」その言葉を二回聞き、それ以降電話はかかってこなくなり、無事に会えたんだなと。お父さんすげーと妙に感心してしまった、なんでもない出来事でした。名鉄百貨店セブン館の前にいるナナちゃん人形は、地元で有名、父にもナナちゃんにも助けられたなと今さら笑えてきて。困った時にあっさり解決してくれるのも父の一面であり、きっとパチンコ帰りだったのだろうけど、その日は確実にタイムリーを打ってくれたなと嬉しくなりました。やっぱり上司として出会いたかった!!
母の精神状態が悪化し、本当にもう無理だと距離を取った数年前、父にSOSのメッセージを送ると、さすがに事の重大さに気づいたのか、新幹線に乗り名古屋から来てくれました。今までのことを帳消しにしたくなるぐらい、救われた気持ちになって。その後、姉と父と三者会議を開き、姉妹でやり合ってしまい、父は何も言わずただじっと聞いていました。その日を境にネネちゃんと連絡を取る気にはなれず、4年間の空白が。それでも、母がまた何かやらかすのではないかという心配もあり、専門家の方に話を聞いてもらうことに。すると、温厚なご年配の先生が伝えてくれました。「話を聞く限り、お母さんは大丈夫。あのね、親を亡くした後も、まだやれることはあったんじゃないかって後悔し続けて悩む人もいる。あなたはパンドラの箱を開けるのが怖いと言ったけど、開けてからここに来てくれたね。お母さんの人生を生きたらいけない、それに気づき始めているんじゃないかな。」多少なりとも頭の中を整理してから来たこと、どこに向かいたいのかも先生はお見通しでした。そして、両親の祖父母が他界して、私の中で変化が起き始めていて。自分の役割は、ほとんど終わったのかもしれないなと。祖父母から託された思いがあった、だからなおさら両親のことは常に頭にあって。それでも、佐賀の祖母が亡くなった今、ようやく姉がいつも用意してくれていた卒業証書を受け取れそうな気がしました。一番初めに準備してくれていたのは、きっと大学受験の時。関西の大学を受験して一緒に住もう、その言葉から27年、長かったなと思う、でもいい時間でした。沢山悩み、沢山泣いて、迷い、今がある。

博多を始発で乗る時、この新幹線は特別な時間になると分かっていたので、自由席ではなく指定席を買いました。順を追って、いろんな気持ちが巡り、自分なりの解にたどり着けそうな時、ふと横の通路を歩いて行った人がいて。なんだか気になったのでもう一度後ろ姿を見ると、赤いスポーツのユニを着ている男性で嬉しくなりました。推しのチームがあり、新幹線で応援に行った帰りなんだろうなと。試合が終わってもユニフォームを脱ぐことをせず、熱い気持ちのまま余韻と共に帰る彼の雰囲気が伝わってきて、私もずっとスポーツの力を分けてもらってきたなと改めて思いました。中学2年までダブルスを組んでいた友達。サーブが思うように入らなかったこともあってか、3年の時には顧問の先生にコンビを解消されました。でも、彼女のセカンドサーブは大きく曲がるので、枠にさえ入ればそれが武器だと分かっていて。それでも、前衛からそっと見守っていました。今なら分かる、セカンドサーブにもっと自信を持てば、ファーストサーブで強気になれると伝えていたら、彼女はもっと輝いたのではないかと。引退前の最後の公式戦、団体戦ラストの試合でコートに立っている私に、内気な友達は驚く程大きな声で叫んでくれました。「Sちゃん、ナイスコース!がんばれ~!!」沢山の声援の中で、彼女の声が聞こえた時、こみ上げそうでした。コンビを解消しても、ずっと一緒に戦ってくれていたんだなと。団体戦の勝利が決まった時、両手を挙げて走ってきてくれた友達がいて、仲間がいて、そのひとつひとつが胸の中に綴じられています。
どんな自分と、将来待ち合わせをしたい?卒業証書を奥にしまい込まず、選んだ道を言い訳しないでここまでやったよって思えたなら。10年後20年後のお楽しみにしよう。