気持ちのバトン

この間は、またいい感じで切羽詰まった広報委員会に行ってきました。1学期中に発行するとみんなが本気で熱くなっていて、そんな雰囲気がこれまた優しいんだな。「私の仕事が忙しくて、ぎりぎりのスケジュールになってしまい、ごめんなさい。」と言ってくれた委員長。それに対していつも温かい6年生のお母さんがみんなの心を代弁してくれました。「日にちがあまりない方が、私達の気持ちが結束するので、そんな時間もいいですよね。」と。間髪入れずに返してくれる想いに、感激してしまいました。全校から7人集まったお母さん達。6人のみんながほんわかしてくれているのは、ミラクルに近い。そんなことを思いながら、今まさにタイピングしているノートパソコンが大活躍してくれました。今日は、小さな小さなバトンのお話。

そもそもこのパソコンは、私の究極のこだわりで、CDやDVDが使えるようにと、軽さよりも機能性を重視して購入。どこにでも持ち出すので、やっぱり軽さを取れば良かったかなと本気で後悔したこともありました。それが、広報委員会で写真の選別をすることになり、先生からCD-ROMでデータを渡されるので、みんなで選ぶために役に立ってくれて。広報担当の先生は、2年生の時に担任になってくれたT先生、ご縁とは不思議なものです。委員長から渡されたROMに書かれていた文字に、見慣れた先生の筆跡があり、若干慌てた跡もあって微笑ましくなりました。忙しい合間に、遅らせてはいけないと準備をしてくれたんだろうなと。その先生が、頑張って用意してくれた丸い形の円盤が、こんな風に渡され、形になっていくのだと思うとなんだか感慨深くなりました。開いてみると、かしこまってくれている先生達と、弾けた笑顔の先生達の二種類の写真が人数分用意されていて。そこにいたメンバーで迷わず弾けた笑顔を選択。これで、広報誌がぐっと生きてくるよ、先生ありがとう。広報委員会8人になった瞬間でした。ページごとの写真を選び、並び順を考え、少しずつ形になっていく。あと少し。

そして帰りながら、先生と、どれだけの会話を交わしただろうと沢山の記憶が蘇ってきて、泣きそうになりました。息子が学校の帰り道に悩んでいたこと、休校明けで、先生ご自身も大変な時に、私達親子に寄り添ってくれて、どれだけ励まされたことか。問題が解決されても、何度もかけてきてくれた電話。「もう大丈夫です。何度もありがとうございました。先生、今さらなんですけど私、電話苦手なんです・・・。」と正直に話すと、どっと笑ってくれて。散々話しておいて苦手だったんかい!と職員室でこけてくれたかな。「先生は大丈夫ですよ。」と付け加えると、安心されながら、すっかり打ち解けていたので、そこからまたいろんな角度の話をさせてもらいました。自分がこれまで学んできた心理学と、先生が学んできた心理学が重なる時があり、そこに新たな発見や学びがあって、電話を切った後にクールダウンしながら自分自身と向き合いました。先生もまた、同じような時を過ごしているんだろうなと。子供の頃に抱えた傷、それぞれにあって、だから先生は教員になり、私は司書になった。痛みが分かるから、誰かの力になりたいと思った。経験が少しでも生かされたらいいと願い、時に自分の傷を思い出し、その痛みがまた誰かを助ける。そんなことの繰り返しで、ここまで来たのだろうなと。寄贈させてもらった二冊の本。大事に受け取ってもらったその本は、小学校の図書室へ。想いは繋がっていく。

翌日の夜、再度委員長からLINEが入りました。なんと、そこには進捗状況を添付してくれた半分出来上がった広報誌が。業者さん、仕事が早い!それを見て、感激してしまいました。司書になりたての頃、ブックカバーをかけるのが下手くそだったり、ラベルを貼る位置を間違えたり、苦戦しながら自分の装備した本が、新着の書架に並んだ時、そしてその本を学生さんが手に取ってくれた時、何とも言えない感動が押し寄せてきて、その時のことが蘇ってきました。紙の媒体、誰かが触れてくれる喜び、堪らないな。

広報委員で一緒の二年連続同じクラスのお母さん。「うちの子が、R君に僕がやっているそろばん教室に入らない?って声をかけたらその場で断られたって言っていて。」と笑いながら言われ、一緒に大爆笑。その光景が容易に想像できるから面白い。「野球だけで手いっぱいで、お勉強のおけいこ事はやりたがらないの~。」そう言うと、みんなが笑ってくれました。T先生にまた会うことができたら何を伝えよう。円じゃなくて球、見えているものが全てではなく、その裏側にあるもの、そして中にあるもの。やっぱり私、そういったものを大切にしていきたいです、先生もそうでしょ。真ん中にズバッと投げてみるか。