本気のメッセージ

姉との三回目のカフェは、心療内科の後に待ち合わせをすることに。そして、前日彼女から気遣いのLINEが。『診察後、もし気分が乗らなかったらドタキャンしてもかまわないのでその時の心のままに動いてね~』カウンセリングに通い、その後に沢山の思考が回り始めることを知っている姉だからこその気持ちに嬉しくなりました。いっぱい越えてきたんだよね、私達。どんな気分になっても必ず行くよ!

そして当日の朝、予定よりも早い電車に乗り、気持ちよく晴れた空の下を歩きながら心療内科に到着。初診は長く話を聞いてもらったものの、再診からは10分ぐらいになりますと予め先生に言われていたので、自分なりに話をまとめました。すると、ごちゃっとなっていたものが少しずつ整理されていくようで、ぼんやり待っていると呼ばれドアをノックしご挨拶。そして、こちらの近況をざっと話すと、伝えてくれました。「なんらかの障害がご主人にあったとしても、最終的には相性の問題になってくるかと思います。障害をお持ちでも、ご自身で自覚し思いやりのある方は沢山いらっしゃいますし、生活する中で本当にもう無理と思うかどうかだと思うんです。そこは、ご自分でよく考えて頂けたらと思います。」穏和に伝えてくださる先生の優しさがふわっと届きました。なんだろうな、私だけでなく、この先生は常に他者への配慮があるように感じられて。最後に決めるのはあなた自身、その途中段階のケアとアドバイスはできる限りさせてもらうから、日の当たる場所にいてください。そんな中で“本当の気持ち”を見つけられるといいですね。そういったことを伝えてくれているのではないかと思いました。今日も一歩前へ、そんな診察を終え、待ち合わせのカフェへ向かうことに。

思ったよりも早く着いたので、のんびり待っているとぜいぜい言いながら姉が到着。「予定より早く終わって、慌てさせちゃってごめんね~。」「いいよ!時間間違えたかと思ってびっくりしたけど。」そう言って笑ってくれました。ネネちゃん、いいスマイル。そして、モーニングを食べながら、こちらの様子を聞いてもらい、いつものように幼少の頃の話へ。「おばあちゃんが入院していた小学4年生の時、私が毎週日曜日にお父さんに送ってもらって、一日おばあちゃんの看病をしていたの。」「ちょっと待って。私が知らない話が多すぎて・・・。年長だったからそれなりに記憶は残っているはずなのに、悲しいことが削除されているのか、本気で思い出せないの。」「そうか。Sは、幼稚園から帰ってくると私にわ~っとなることもあったの。両親に甘えられない感情を私にぶつけてきたんだと思う。」ああ、それ思い出したよ。半分は計画的犯行だった。お姉ちゃんなら受け止めてくれることを知っていたから。なんだかもう、ごめんねとありがとうがミックスされて堪らない気持ちになる。そんなことを思っていると続けてくれました。「お母さんはとにかく承認欲求が強いから、月曜日に病院に行くと娘さんが付き添って偉いですねと看護士さんに言われるのが嬉しかったんだよ。学校から帰ると、そろばんがあったからSを親戚のおばさんちに預けてから教室に行っていたの。そこで、まだ赤ちゃんのお孫さんが来ていて、ハイハイしていたらたまたま段差から落ちて泣いちゃったの。そうしたらおじさんに後ろから思いっきり叩かれてね。この家にもう来るのやだなって思った。」小学4年生の姉が感じた、どうしようもない理不尽さ。たまたま近くにいた姉がそんな思いをしていたとは全く知らず、小さい時に受けた傷がどれだけ沢山あっただろうと思うと胸が痛くなりました。「お母さんは、いつも誰かと私を比較したり、家事をやっていないと怒られたりしたの。お父さんは常に無関心。これって本気でネグレクトだと思う。だから、肯定感ってなかなか芽生えないままここまで来ちゃったのかも。」姉の話に絶句しながら頭に浮かんだのは、常に守ってくれていた赤いランドセルを背負った姉と、これまでに出会った沢山の心のお母さん達でした。「Sちゃんはそのままでいいの。」そう言って丸ごと抱きしめてくれた人達がどれだけいてくれたことか。今泣いちゃいなさいと負の感情を出す私を沢山の愛で受け止めてくれた人達の顔が次々と浮かび、だから私は鎧が必要なかったのだと思いました。心の一番真ん中にある強さは、紛れもない愛だから。それは尽きることがないことを私自身が知っているのだと。その無償の愛を一番最初にくれたのは姉だったかもしれないと思うと、目の前にいる彼女の苦しみをそっと抱きしめたくなりました。あなたが苦しい時は私がいるよ、どんな時もその気持ちは変わらない。

「ネネちゃん、私ね、前はお母さんのことをハンマーブロスのように思ってしまっていたの。電話取ったらいきなり怒鳴られるし、どこでどんなハンマーを投げられるか分からなかった。でも、距離を取ってようやく自分の辛さを認識して、お母さんそのものではなくお母さんの心の障害に怯えていたと正直に本人に伝えたら分かってくれてね。それで少しずつ恐怖心がなくなった。ようやく笑い話にできるところまで来てね。でも、ネネちゃんは子供の頃に受けたものが多くてそんな簡単じゃないと思う。だけどね、そういえばそんなこともあったなって、とことん笑い話にできるぐらいの所までゆっくり行けたらなって思うんだ。」そう言うと開き直って笑いながら伝えてくれました。「うちの家族、ダークな話が多すぎるよね。お父さんなんて岐阜の社宅から車飛ばして、錦(名古屋)で遊んでいたんだよ。」はあ?そりゃ、バブルの頃に我が家にお金がないはずだ!「Sちんの共感力は、生まれ持ったものなんだよ。ずば抜けているから辛いことも多いと思うけど、大事にしてほしい。」「うん。Rが見事に受け継いだよ。あの子が私に似てくれたのは、神様からのプレゼントかなって思った。」言葉にしたら涙が溢れそうになった優しいカフェ。
いつものように気持ちよくお別れし、夜になってメッセージが入っていました。『Sちんは方向性が見えた分、顔がスッキリした気がした。君は強いよ!』その強さは、あなたの愛が入っている特別なものなんだよ。姉の前で思いっきり泣き叫んだ小さい自分は思い出せるんだ。そんなあなたはどんな時も素敵よ、いつの日か思いっきり泣いてもらうことにしよう。悲しみが尽きるまで。