事の始まり

息子の記憶力が、こちらが思っているよりも明確なのには毎回驚かされるのですが、この間も思いがけないことを口にしてくれました。「ボクが、4回目に立った時にね、野球を覚えたの。」ん?どういうこと?!小さい頃、立つ練習をしていた時のことを意味するらしく、その視線の先に、もしかしたら野球中継でも目に飛び込んできたのかも。ハイハイではなく、立った後の目の高さになった時、安定したそのタイミングで、頭の中にインプットされる“何か”を見たのだと思います。
「野球チームのコーチ達が、みんなボクのことを呼び捨てにするんだよ~。」と、はにかみながら話してくれました。それはね、チームの一員だから。仲間は、そう呼ぶんだよ。家族でもなく、学校でもない、別の“社会”で大切にしてもらっている、大好きな人達にそう呼ばれたら嬉しいよね。そこで築いたものは、小さな自信になっていく。コーチ達は年に一度だけ、近くの公園の桜の木の下で、ユニフォームのまま花見をしていて(実際には酒盛り)、もしかしたらそこで、歩く練習をしていた時に見かけたのかもしれませんね。

父が、岐阜の支店から三年後、名古屋市内に転勤になったタイミングで栄転。私も岐阜の小学校でそれなりに苦労したので、どうして父がまた名古屋に戻ることになったのか、子供ながらに知りたくて母に聞いてみました。「お父さん、ちょっと変わった上司に好かれたみたい。」なんだかよく分からないのですが、言っている意味が分かってしまい、笑ってしまいました。父にはそういう所がある。本人が掴めないキャラだし、一風変わった人に好かれる素質があることも。そして、意外と運を持っている、ちょっと腹立たしいけど羨ましい人です。でも、それだけではなく、こっそり努力をしていたことも知っている。

岐阜の小学校にいた時、夜になって急に、「鉛筆を5本ぐらい貸してくれないか?」と聞いてきたことがありました。「キティちゃんのなら持っているよ。」ととりあえず言ってみると、「それじゃあダメなんだよ。明日試験があるから、試験会場で使いたいんだ。」それは、キティちゃんじゃダメだよねって笑ってみたものの、父は試験のことで切羽詰まっていて、これは何とかしないといけないと慌てました。だったらもっと早く言ってよと内心思いつつも、勉強机を物色。たまたま取っておいた六角形の真面目な鉛筆セットを発見し、それを削って父に渡しました。こういう相談を、父は、母でもなく姉でもなく、私に言う。見えないところで頑張っているところを、表に出さなければ誰も気づかないよと思いながら、父の試験を祈りました。よく覚えていないのですが、ファイナンス系の資格を取る為だったよう。それをクリアし、その努力が栄転の切符の一部になったのかは未だに分かりません。ただ、人知れず頑張っていた、その姿を家族に見られることを好まない人であったことは確かです。その試験も、直前で勉強し、合格したのではないかと密かに思っていて。生き抜くために必要なものを、何気に持っていた父の背中は、時として逞しかったです。

鉛筆と言えば、塾の講師時代に仲良くなったリケジョの友達が伝えてくれました。「うちのお父さんね、女の子が欲しいキャラクターの文房具とか全然分かっていなくて、もっとシンプルでいいとか言う人だったの。でも、お母さんは女性だから、そういう気持ちを分かって、買ってくれたんだ。何でもないことかもしれないけど、子供にとってはそういうことが嬉しかったりするよね。同性だから分かることや、異性だから分からないこともあるけど、そういったことを理解できる親になりたいね。」友達の冷静な視点が、いつもとても好きでした。

男の子の親になった私は、彼の気持ちに寄り添えているだろうか。野球は、4回目に立った時に知ったスポーツ。それが、本人の人生を豊かにしてくれていたら言うことはない。