好転をする選択

まだ肌寒い週末、息子が友達と遊びに行く約束をしてくれたので、午前中の短時間だけ公園で一緒にサッカーをしてから見送りました。自宅で一人になると、ずぶずぶっと沈んでしまいそうな辛さに襲われたので、スタバのタンブラーと本とスマホを持って勢いでお店へ。すると、初対面の明るい女性店員さんがレジで伝えてくれて。「タンブラーのくまのキャップも使ってくれているんですね!」「はい。お気に入りなんです~。」その会話でぱっと気持ちが晴れたのが分かりました。そして、最近マイブームのアーモンドミルクラテとチョコのマフィンを注文すると、間違いのないようにマフィンを店員さんがもう一度聞いてくれて。「そうです。モコッとしたやつです。」そう言うと、その表現に一緒に笑ってくれて和やかな時間が流れました。こうやって、これまでカフェの店員さんにどれだけ元気をもらってきただろうね。今日も来て良かった。

そして、その会話でネネちゃんに言われた内容が再生されて。「Sちんは感覚で生きている。とにかく擬音語が多いんだよ。それが面白いんだけど、いつもいろんなことを感じているんだろうね。」そんな姉から、少し前にメッセージで何気ない相談を受けたことを思い出しました。どうしようもなく辛い時があるのだけど、Sちんはどうやって気持ちを切り替えている?と。『幽体離脱~』とお笑い芸人さんのザ・たっちのように伝え、その内容を送ると笑いながら納得してくれました。オーストラリアに短期留学した時、日本にいた頃の自分を沢山思い出した。そこでどんな思いをしていたか、とことん俯瞰してみることができて少し楽になったから、その時のことを忘れないでいるようにしているのだと。でも、偉そうに言っている程できていないとか、なんとかかんとか伝えると、彼女の笑顔がメッセージを通して伝わってきました。闇で彷徨っていてもいいじゃない、ゆっくり行こうよ、そんな真意を感じてくれたよう。姉妹っていいね。
自分を俯瞰してみる習慣がついたのは、岐阜の小学校に転校になった時でした。長~い通学路をたまに一人で帰る時があり、名古屋の実家には祖父が残ってくれていたので、なおさらそこにいた頃の自分を思い出しました。本当の私はどこにいるのだろう、沢山考えた帰り道でした。そして、長い時が過ぎ、出会ったアメリカ育ちの彼。ハーフのいとこが結婚するから、両親も忙しいし、フィアンセとしてアメリカの結婚式に参加してくれないかということ。お会いしたことのある彼のお父さんからも、○○家代表で出席してほしいと言われてしまいました。なんだか断りづらくなってしまい、彼と行かせてもらうことに。飛行機を乗り継ぎ、船に乗り、カリブ海のコンドミニアムに着いた時には乗り物酔いで最悪のコンディション。それでも、サマードレスに着替え、なんとか前夜祭のディナーに参加。次の日は浜辺で結婚式、映画のようだなと思いながら船に乗り、降りた後ようやく最後のディナーだと思っていると、彼と席が離され、隣には日本人の伯母が座りました。高校で渡米した彼を育てた伯母さん、これは面接なのか?と思ってしまって。メインディッシュには大きな牛肉が出され、隣が彼だったらささっと食べてもらうんだけどなと思いつつ、伯母さんの前で失礼のないように無理して食べました。そして、あまり英語が出てこない私にひと言。「英語は話せた方がいい。」と。お父さんには、家族の代表で出席してほしいと言われたのだけど、これではご家族の恥だな。英語が堪能で精神科医のお父さんが出席された方が絶対に良かったな、きっと私は不合格の判子を押されたんだなと吐き気と戦いながら凹んでしまいました。それでも、来る途中で寄らせてもらったロサンジェルスに住む彼の大学時代の友達夫婦は、とってもウェルカムで。ハンバーガーの肉厚のパテに戸惑う私に、彼女は彼を通し伝えてくれて。「S、実は私もベジタリアンなの。だから気にしないで。一緒に肉なしのバーガーを注文しよう!」彼女達の優しさを思い出し、苦痛な時間を支えてくれました。忘れたくないのは、悲しかったことよりも嬉しかったこと。分かるよと心のそばにいてくれたこと。
帰国し、いろんな思いがある中でネネちゃんに話すと何が辛かったのか頭の中で整理できたようでした。「なんかね、彼や彼の親族といると日本とアメリカの野球の違いのようなものを感じるの。」「野球とベースボールの違いかあ。送りバントではなくて、みんながガンガン打つホームランバッター?!」と弱っている妹を笑わせてくれました。「Sちんはさあ、表に上がってくる結果よりも、もっと経過とか内側にある奥ゆかしさのようなものを大事にするから、実力主義のアメリカで育った彼とはどうしてもわかり合いづらい所があるのかもしれないね。Sちんは、そのままでいいよ。Sの良さは分かる人には分かるから。」ありがとう、ネネちゃん。

改めて調べてみると、お父さんが勤務されていた診療所が見つかりました。もうご勇退されているかもしれないけど、情報化社会ってすごいな。お父さんの代打、荷が重すぎましたし、空振り三振どころかデッドボールを受けて帰ってきました。自分の弱さを痛感した旅だったし、でも本当にいい経験でした。診療所を訪ね、ぶっちゃけてきたら笑ってくれるだろうか。彼と別れる時、よろしくお伝えくださいと伝言をお願いすると、こちらの方面に来た時は立ち寄ってくださいねと最後に伝えてくれました。それは社交辞令だと分かっていても、ぱつっと縁が途切れる訳ではないというお父さんの優しさと人との接し方なのかなと、そうやって患者さんの背中を見送ってきた方なのだと思いました。前向きな別れもあるということ、それを知ってくれている人、お父さんとは日本のグラウンドで試合終了と共に、心の中で握手ができていたのかもしれない。