忘れたくない時間

ゆっくり回復に向かいながら、廊下を歩いた朝。病室から、術後にもがいていた個室までの距離が10mもないことに気づき、こんな距離が自力で歩けなかったのかと、笑ってしまいました。そして、息子を出産した後に入っていた個室を横切り、その時に借りたヘアドライヤーの位置までそのままで、8年という歳月を感じながらも、懐かしさがこみ上げてきて。ナースステーションの活気ある雰囲気もあの頃のまま。

そんなことを思いながら、病室のベッドに戻り、姉にお礼の連絡を入れると返信がありました。『無事帰還できて本当によかった!今日差し入れようと思っていたけど面会禁止?!』ん?さてはまたアポなしで登場する予定だったなと、4年経っても彼女の行動パターンはそのままで、嬉しくなりました。久しぶりに連絡をしたらぎこちなくなるのかな、なんて思っていた気持ちはどこへやら。元々あった繋がりが太くなっただけのこと。元気になったら会いに行こう。
そして、点滴を一旦外してもらってシャワーを浴びる為に、看護士さんに点滴の針のあたりをビニールでぐるぐる巻きにしてもらい、今日も快適シャワー。そして、自由の身になっている間にドライヤーで乾かし、化粧水も塗って女子力アップ。その後、点滴をまた付けてもらうようにお願いをすると、新米の看護士さんが来て伝えてくれました。「○○さん、先端にパーマがかかっているんですね!」「これ、デジタルパーマで乾かす時にくるくるすると、こうなるんです~。こんなことができるまでになりました!」「ずっと気持ち悪いって言っていましたもんね。元気になって良かった!」病院でガールズトークができるなんて感激。手術室まで一緒に付いてきてくれた看護士さん、ありがとう。どれだけ心強かったことか。

その後も、採血、検温、血圧測定などの繰り返し。一通りの検査を終え、問題ないことが分かったので、ようやく点滴を外してもらえるようになり、ほっとしました。そして、正面のおばあちゃんは脳梗塞で救急搬送。脳外科が空いておらず、急遽婦人科に入院で、軽症だったのでとても元気がよく話し声が軽やかに聞こえてきました。理学療法士の若い男性とリハビリを通して仲良くなったらしく、お迎えに来ると早速マシンガントーク。「僕、明日はお休みなので別のスタッフが来ます。」「あら、あなたお休みがあったの?」「僕、休みがないと死んじゃいます~。」という会話にカーテン越しで笑えてきて。病院の中にある笑い。元気になるとっても大きな要素なのだと、学ぶことが盛りだくさん。そして、その方もまた私のことを気遣い、体のことを心配してくれました。「腫瘍が良性で本当に良かったわね。私もね、左手が急に動かなくなって、すぐに脳梗塞だってピンと来て救急車を呼んだの。時間との戦いって知っていたから間に合って良かったわ。」そう言って話してくれた翌日、脳外科が空いたからと病室を移動することに。医療スタッフさんと動く前に、声をかけました。「リハビリ頑張ってくださいね!お気遣いありがとうございました。」「あらあら、わざわざありがとう。もうすぐ退院ね、おめでとう。お互い体には気を付けましょうね。」そう言って笑顔でお別れ。そのやりとりに医療スタッフさんまでもが微笑んでくれて。温かさが院内に広がっていく。

そして、その夜、退院後のケアについて看護士さんから説明があるということで、待っていました。就寝前だったので、病室ではなく、近くのロビーで担当してくれた看護士さんと向き合うことに。冊子を渡され、丁寧に説明が始まりました。「今回○○さんは、左側の卵巣を全部、右側の卵巣の一部、そして卵管を二つとも摘出しています。」「え?右側は悪い所だけ取ったんじゃないんですか?卵管も取っていたんですか?」「はい。右側も腫瘍があり、一部を取らざるを得なかったようです。卵管にも癒着していて、相当酷かったと報告を受けています。」「・・・。ということは、もう妊娠は望めませんね。希望していた訳ではないんです。ただ知識として知っておきたくて。」「卵巣が残ったことで、ホルモンバランスには影響はありません。ただ、卵管が無くなったことで、自然妊娠はできなくなりました。もし、望むのであれば体外授精になります。」「今回、私が閉経の年齢ぐらいなら卵巣を両方取る可能性もあると予め先生に言われていたんです。でもまだそれまでに10年はあるから、両方取ったら、更年期障害がどっと来るのを心配し、回避する為に一つは残すと言ってくれました。削られても、一つの卵巣を残してくれてほっとしています。でも、卵管まで癒着しているほど酷かったなんて。5か月前に婦人科検診に行った時は何もなくて、その後に異変を感じても、気にしないふりをして、でも漢方内科の主治医がたまたま見つけてくれて、紹介状で出産したこの病院に来たんです。なんだか、やり過ごしたことがどうしても悔やまれて・・・。」動揺を隠しきれないまま、女性だから分かってくれるような気もして自分の胸の内を正直に伝えると、私の痛みをそのまま感じ、伝えてくれました。「ちゃんと婦人科検診にも行って、主治医が見つけてくれた後すぐに診察にも来て、手術にも踏み切ったんです。やるべきことをきちんとやってくれたじゃないですか。○○さんが自分を責めることは何もないです。女性の大切な臓器が無くなった辛さは、その人にしか分からないものです。自宅に帰って、一人になって苦しくなったら私達が話を聞きますから。病棟にいつでもいらしてくださいね。」とても穏和に優しく伝えてくれたその気持ちだけで十分だと思いました。言葉を発したら涙がこぼれそうで、それでも何かを伝えなければ。「ありがとうございます。そのお気持ちだけで、頑張れそうです。ゆっくり時間をかけて消化していきます。」そう笑うと、微笑みながら伝えてくれました。「○○さん、良性でしたよ。まずはそのことを喜びましょうよ。」そうだった。一緒に胸を痛め、結果に喜び、これからの未来を後押ししてくれた看護士さん。辛くなったら私達が受け皿になるから。人に寄り添うって、その人が経験していなくても、その人の傷みを自分のことのように感じながら伝えるってこういうことなのだと、もしかしたら、今まさに感じている自分の気持ちは、また出会う誰かに向ける優しさに深みが増したような気がして、絶対に忘れないでいようと思いました。

右側の小さな卵巣。自分の臓器にこんなにも愛着を持つなんて。病院でもらった沢山の愛がここに詰まっているなら、大切にしなくては。担当の看護士さんが渡してくれた冊子に書かれていたのは、『女性ホルモンの生産工場』。溢れる気持ちと共に、作り続けるよ。