神戸に対する気持ち

私の記事の中に阪神大震災が出てくるのは、沢山の意味があります。その大きなきっかけとなっているのは、このサイトをサポートしてくれているプログラマーの友達が、神戸出身だから。
まだ、友達として日が浅かった頃に、その話をしてくれたことが心に深く刻まれました。

震災が起こったのは、1995年1月17日。その時私は中学3年生で、高校受験を目前にし、毎晩勉強していた時期でした。愛知県にいても、朝すごい揺れを感じ、ぬいぐるみが上から沢山落ちてきて、地震の揺れで飛び起きました。朝のニュースを見ると、神戸の辺りが大変なことになっているということが分かり、胸が張り裂けそうでした。
何とも言えない気持ちで学校へ行くと、社会科の先生が、いつもとは違うトーンで、授業前に聞いてきました。
「関西方面に親戚はいないか?無理してここで答えなくていいけど、とても心配している。」

その先生の言葉は、そこにいる生徒達に対してだけでなく、その震災の被害に遭われた全ての人に対して向けられた言葉のようで、とても重く、同時に深い優しさを感じました。立派な社会科教員が、目の前にいる。

その後、神戸を本拠地にするオリックスが優勝。テレビの前でそっと泣きました。野球が、人の心を一つにする。目に見えない大きなものに優しく包まれた瞬間でした。

高校3年生の卒業旅行は、友達2人と神戸へバス旅行。3年前に起きたことが信じられないぐらい、復興が進み、とても綺麗な街でした。沢山のことを思い、宿泊先のポートアイランド近くのホテルから、夜景が見たくてなかなか寝られなくて。私にとってまた一つ特別な場所ができたようでした。

そんな気持ちを奥底にずっと抱いていたら、たまたま関東で仲良くなったのが、神戸出身の友達。メッセージ上でさりげなく聞いてみました。「震災の影響は大丈夫だった?」と。すると、思いがけない返答が。
「実は、その時アメリカのシアトルの大学に行っていたんだよ。だから、震災を現地のニュースで知って、慌てて親類に電話をかけたのだけど、酷い状態だったから全く繋がらなくて、途方に暮れたよ。そんな時、現地のメディアが神戸出身の学生がいると知り、僕をテレビに出してくれて、そこから呼びかけることができたんだ。幸い、家族は無事でいることが分かって本当に良かった。」
「そうか。皆さん無事で良かった。」と私。「他の親戚や友達は、色々あったよ。あれだけの震災だったからね。」

最後に、とても言葉を濁していることが分かり、それ以上聞いたらいけないのだと感じました。
色々あった。その中には、本当に言葉にはできない沢山のことがあったのだと思います。

どんな想いで、このサイトをサポートしてくれているのか、どんな気持ちでイチロー選手の記事を読んでくれているのか、裏側にいる大切な友人を感じてもらえたらと願って。
情報化社会に助けられた一人であり、ITに精通し、自分の技術が誰かを助ける、ほんの力になれたらといつも祈ってくれている人。