気分転換になる?

週末、息子と出かける場所を決め、準備を始めていると着信が。画面を見ると、母だったので一瞬ためらったものの、とりあえず出ることにしました。「今からお父さんと近くの山登りに行くから、迎えに行くわよ。」相変わらず唐突だなと、苦笑するしかなくて。今電話いい?とか、急にごめんねとか、もしよかったらなんだけどとか、ワンクッション置くと、相手の受け取り方が随分変わるよねと思いつつ、冷静に伝えました。「今日、Rと出かける用事があるんだよ。」「お父さんも会いたがっているのよ。たまには一緒に出掛けましよう。」と引く様子がないので、一旦息子に聞いてみることに。「え~、行かない。」とはっきりNoの返事があったので、そのまま母に伝えると、諦めるどころか畳みかけてきて。「もう4か月も会っていないのよ。」「ああ、仙台のおみやげを持って行った時、お母さん出かけていたもんね。」「コンサートに行っていたんだからしょうがないじゃない!」となぜか怒られる始末。何もかもが社会勉強だなと今さらながら思いつつ、今回は顔を出した方がいいと判断し、息子を説得して迎えを待ちました。今日一日をハッピーエンドで終わらせるぞ~と願った時間。長い土曜日の始まり始まり。

その後、父の車でお迎えが来たので、二人で乗り込みました。そして、洋食のお店へ。メインを頼むと後はブッフェスタイルだったので、行ったり来たりしながらみんなでわいわい。そんな中でも母の質問攻めが待っていたので、不穏な空気にならないように最低限は答えることにしました。言葉を濁す度、親子なんだからいいじゃないと不機嫌になったこともしばしば。今年の夏は猛暑で、息子もぐずりやすく、癇癪を起されることにどこかで怯えていました。本当なら、目の前にいる息子とだけ向き合い、その繊細さや辛さを深く理解し、見守りたい。それでも、術後の更年期症状に悩まされ、キャパが小さくなっていた私は、息子の負の感情から、子供時代の事や前の暮らしのことまで包括した苦しさが押し寄せ、その波と戦っていました。大きなうねりを小さくすることに、エネルギーを使っていた夏だったな、でも乗り切れたんだよねと懐かしくなって。そして、父とはいつものように中日の話になって大盛り上がり。そんなに多くを語る人ではないのだけど、数少ない言葉の中でもキャッチボールは気持ちよく成り立っていて、遠投をしているかのようなゆったりとしたリズムになるんだよなと改めて思って。随分前、まだ息子がオムツを履いていた頃、父の一人暮らしのマンションに行く前、何かいるか?と聞かれたので、牛乳だけお願いしたことがありました。冷蔵庫を開けると、そこには特濃牛乳がボンとど真ん中に置いてあり、父の心の象徴のようだなと笑えてきて。1Lの牛乳があったら、9dLは極薄。でも残りの1dLはきっと特濃で、その1割の何とも言えない濃さに、ここ一番という時には助けてくれた父の気持ちに救われてきたのかもしれないなと改めて思いました。銀行員時代、岐阜の支店にいたのは若かりし頃の3年間だけ。それでも、今でも同期に会いに行ったりする父は、何気に人を大切にしてきた人なのかもしれないなと。その気持ちをもう少し母に向けてくれたら、二重丸ぐらいはあげることにしよう。

それから、母の提案で、今回は山登りではなく、前に息子を連れて行ってくれたアスレチックのある公園へ向かうことに。父は、車の中でお昼寝していたものの、3人で木々の中にある遊具を楽しみ、いい時間が流れました。息子に誘われ、一緒に丸太のアスレチックを楽しんだ時はバランスを崩してしまい、私だけずっこけ、心配しながらも二人は大笑い。「ママがあんなださい転び方をしたの、初めて見た!!」体幹は鍛えているけど、何気に44歳じゃ!と心の中で思いながら、すっかり息子の面白記憶にインプットされてしまったよう。その後、休憩でアイスを食べている時、母に聞いてみました。「山登り、どうして始めたの?」「お父さんが行こって誘ってくれるようになって、最近近くの山を二人で登るようになったの。」その話を聞き、いろんな出来事が過り、なんだかぐっときました。この人達、ここまで来たんだなと。祖父が他界した数か月後の家族会議で伝えました。「おじいちゃんがいたから、二世帯の家族だったからうまくいかなかったなんていう言い訳はもうできないよ。別居なら別居状態のままでいい。でも、お姉ちゃんや私にこれまで悪いことしたって少しでも思っているなら、最後に夫婦として少しぐらい悩んで、この人達の娘で良かったって思えるところ、見せてよ。おじいちゃんもおばあちゃんもきっとそれを望んでいるから。それでもだめだったら、その時諦めたらいい。でも、お父さんとお母さんはまだそのスタートラインにも立っていないんじゃない?みんな、二人がどんな生き方をするのか見ているよ。」泣きながらみんなの前で伝えた言葉は、魂の叫びで、そばにいたネネちゃんの方が大泣きしてしまい、彼女のこれまでの苦しみが涙となって少し軽くなってくれたようで、少しほっとしました。実家の仏壇の前で話したから、おじいちゃんもおばあちゃんも聞いてくれていたよね。お父さん、山登りにお母さんを誘っているらしい。道中、どんな会話をしているのやら。あの頃には考えられなかったこと、時が経ったね。二人の棺桶には、山登りで染み付いた汗のタオルを入れようか。おじいちゃんとおばあちゃんは、その山の雰囲気を感じてくれるかもしれない。
さてさて、アスレチックは全クリして、気持ちよく帰ってきました。我が家の過去をもう一度辿ってみると、何も引っ掛からなくて。ある程度の解が、自分の中で見つかったんだな。

息子が学校から持って帰ってきた、運動会の旗体操で使った大きな白旗。そこには、クラスのみんなからのメッセージが黒のペンで書かれていました。その中には幼稚園から一緒の仲良しD君の言葉もあって。『Rへ 休んでいたけど旗体そうが最後にはできるようになってたからすごいど力してるんだなと思ったよ。』コロナにかかり、野外活動にも行けなかった息子は、1週間登校できず、その間運動会の練習もできないままでした。そんな中、見えない努力をしていた息子の姿に気づいてくれていた友達がいたんだなと思うと、こみ上げそうになって。そのメッセージを読んで息子は気づいたはず、彼の優しさの深さに。本物を探す旅、これからも続けて行こう。