誰かを想う時間

随分前、横浜市内にあるこどもの国へ3人で出かけた時のこと。園内を走るバスに乗る前から、息子が、「ママ、いつもチョコを食べていたら鼻血出るよ。」とずっと乗っている間中言っていたと夫が話してくれて、待っていたテントで大爆笑。私の心配よりもせっかくの景色を楽しみましょうよ。鼻血出る程食べてないわ!!どこでそんな知識を身に付けてきたんだと笑えてきた気持ちのいい午後。

相変わらず通院している耳鼻科。もういい加減解放されたいのですが、症状を引きずっているのだから仕方がない。混雑している診察が終わったと思ったら、今度は薬待ち。ぼーっと待っていたら杖をついたご年配の男性が座りたそうにされていたので、十分なスペースはあったのですが、より座りやすいように右にずれると、「悪いね~、ありがとう。」と言われ、なんだかじーんと沁みてしまいました。「いえいえ。」とこちらは言うだけで精一杯だったのですが、これだけのことでこんなに控えめに言ってくださると、なんだか色々な気持ちが巡りました。亡くなった祖父とどこかで重なった時、急に恋しくなって。おじいちゃんは戦友に会えたのだろうか。
私がまだ小学生の頃、一生懸命に覚えた三つ編みを鏡の前でおさげにしてみました。自分のことでいっぱいいっぱいだった両親が気づくわけもなく、いつものように過ごしていると、祖父が近づいてきて伝えてくれました。「Sちゃん、その髪型かわいいなあ。自分でやったのかい?」そう言いながら三つ編みを触ってくれた祖父。どうしようもなく嬉しかったことを覚えています。誰も自分の変化に気づかないと思っていたのに、なんでもないことを微笑ましく思ってくれた祖父。気が短くて辛いことも沢山あったけど、こんな時間が帳消しにしてくれていたようで、私にはお父さんが二人いたのかもしれないと葬儀の時、とてつもなく寂しくなったことが昨日のことのようです。

高校1年の時、校内アナウンスで他のクラスの先生から呼び出され、慌てて職員室へ向かいました。「先程、お母さんが来てお父さんが交通事故に遭って運ばれたから、病院に駆けつけるので、鍵を渡してほしいと言われてね。」「お父さん?!」最近お客さんまわりはしていなくて、銀行にずっといるはずだと思っていると、「あっ、お母さんのお父さん、きっとおじいちゃんのことだよ。」そう言われて納得し、終わりの時間になると全速力で帰り、母の電話を待ちました。かなり危なかったものの、一命は取りとめたということ。帰ってきた母から改めて状況を聞いてみると、そこには驚きの事実が待っていました。仕事で水質汚濁の調査をしていた祖父は、見通しのいい信号のない交差点で、一旦停止。助手席にあった書類がどうしても気になってしまい、それを見ていたらそっちに気を取られ、前方をあまり確認しないまま、大型トラックにぶつかったそう。余程急いでいたのか、シートベルトをしていなかった祖父は、その衝撃で車外に放り出され、電信柱と電信柱の間を抜けて、田んぼに落ちたから無事だったということ。その話を聞いて、祖父は生きているのではなく、生かされているのだと思いました。母はずっと動揺して大変でしたが、私にはよく分からない自信があって。おじいちゃんは大丈夫、仲間が簡単には逝かせない。その後、母と交代で介護を引き受けながら向かった病院で、祖父の様子が落ち着いた頃、当時の状況を覚えているか聞いてみました。「何か慌てていたことはなんとなく覚えているんだけど、ぶつかったことはよく分からないんだよ。警察官が言うには、シートベルトをたまたましていなかったこと、電信柱の合間を縫ったこと、その先が田んぼだったこと、これは奇跡だと。」おじいちゃん、この先の命を亡くなった戦友の為にも大切にしてね、心の中で呟いた病室の中。何度も交わした握手、帰省の度にしたハグ、どんどん華奢になっていくのに祖父の力強さはずっとそのまま。骨の太さは、何があっても生き抜いた証。