日曜日の珍事件。夕方になり、トイレに入ろうとすると詰まってしまっていることに気づきました。すれ違ったのは我が家の7歳児。いきなり犯人扱いをしてはいけないと思いつつも、トイレットペーパーの芯を持って、次の工作何を作ろうかなと音符が見えたので、証拠を見てしまった以上、疑うしかない。「ねえ、トイレの中に何か流した?」「ううん、ペーパーだけだよ。」どうも怪しい。もう一度流してみると、どんどん水かさが増してしまい、これは素人の手でどうにかしている場合でもないように思い、夫に業者さんへ電話をしてもらいました。その間、もう一度息子を問い詰めてみると、「ペーパーを丸めて流してしまった・・・。」と白状。そんなところで野球ボールを作るの止めようよと呆れながら怒り、反省しているので、これ以上責めてはいけないと思い、直ることを祈って待ちました。すると、随分陽気ないい感じの業者さんが登場。「ボク、本当にペーパー以外は流していない?」追加の情報があるなら今のうちだよという優しい振り方に笑いを堪えながら息子を見ていると、「本当にそれだけ。ボク丸めちゃったの。」と正直に答えてくれたので、皆が信じることに。そして、あっさり詰まりは解消され、味のある50代おじさんのレクチャー開始。「トイレってね、何でもないもので詰まってしまうから、丸くしたらダメだよ。爪楊枝一本でも詰まっちゃうから。」「うん。ボク、勉強になった!」そのひと言で大爆笑。費用はかかってしまったけど、息子のこんな素直な部分をずっと大切にしてほしいなと思いました。悪いことをしたら謝る、そして素直に反省する、次に生かす。彼の心が純粋に育ってくれていたことに嬉しくなった、優しいひとときでした。
最近、客観的に自分を知ることも必要だと改めて思い、プログラマーのMさんにメッセージ上で質問を投げかけてみました。「一緒に仕事をする上で、何か私の特性というか生まれ持ったものみたいなもの、感じたことはある?」と。すると、思いがけない返事が。「全部に当てはまるという訳ではないんだけど、傾向としてHSP(Highly Sensitive Person、人一倍繊細な人)の部分もあるんじゃないかと感じていたよ。」・・・。慌てて検索をかけてみると、8割方当たっていることが判明。5人に1人はそういった傾向の方がいるという数字にも驚いたと共に、なんとなく感じていた生きづらさみたいなものの正体が、輪郭を持ってくれたことに安堵している自分もいました。Sensitive. この単語はよくオーストラリアのホストファミリーが私に向けて使ってくれた単語でした。ホストママがいつも言ってくれた「No worries.(心配しなくていい)」、その言葉の意味だけでなく、そのトーンがあまりにも優しくて温かくて、丸ごと包んで安心させてくれるその大きな器で、何か自分を取り戻せたようでした。
現地の英会話学校からの帰り道、バスに乗り、降車する前にブザーを鳴らすと、運転手さんが気づかずにそのまま通過。同じバス停で降りようとしていた一人のアジア系の学生さんが本気で運転手さんに怒ってくれて慌てました。「ジャパニーズレディがボタンを押しただろ。気づかなかったのか?」となんだか英語でまくし立てていて、そんなに怒ってくれなくても大丈夫です、次の停車場から歩くのでと思っていると、開き直っている運転手さんに見切りをつけて、もう降りようぜと合図を送られ、心の中で笑いが止まらなくなってしまいました。こんな風に、全く知らない誰かが怒りを表現させてくれて、嬉しかったというかすっきりしたというか、本来これが素直な自分なんだよねって彼に教えてもらったようでした。一緒に前のバス停まで歩き、何でもない雑談。「僕ね、インドから来たんだよ。あの運転手さん、あったまくるよな。よろしくね!」そう言われ、なんとなく自己紹介をし合い、別れ際に握手を求められ、笑って握りしめると力強い優しさがそこにはあって、胸がいっぱいになりました。時間にして、数分の出来事。一瞬で出会い、別れたのに、そんな出会いが堪らなく嬉しくて。異国の地に来て良かった、忘れていた何かを思い出させてくれる一つ一つの出来事が、こんなにも愛おしい。
息子が描く世界地図は、日本とアメリカと南極、あとちっちゃい島がぽつぽつと。世界の大きさを知ったら、たまげるかな。色んな国があって、色々な人種の方がいて、そこで精一杯生きている人がいる。学びが多過ぎて。抱えられそうにもないぐらいの優しさがそこにはあって。そんな世界を、自分の特性を総動員して息子に伝えようか。色々な愛の形に気づいてくれるかもしれない。