息子が週に数回お世話になっている学習ボランティアの先生。この間は、英語の内容を紙にまとめたものを持って帰ってきてくれました。すると、筆跡を見て思わず微笑んでしまって。丸い!このひと言に尽きるなと。一枚のノートからなんとなく先生の感じが伝わり、嬉しくなりました。どこの現役大学生さんなのだろうと。息子の今を応援してくれてありがとう、先生の未来も応援しています、いつかエールを届けられたなら。別れと出会いの繰り返し、その切なさも感謝も息子は味わい、そっとポケットにしまうんだろうな。心と心を通わせたからこそ。
自分のこれまでを振り返った時、ひとつのターニングポイントを思い出しました。中学3年の時、陸上部に燃え過ぎた結果、成績は下がり進路変更をしなければならなくなった時のこと。元々第二希望であった高校を担任の先生が薦めてくれた後、それだったら姉が行っていた高校も選択肢に入ってくるのではないかと一人で考えました。ネネちゃんは岐阜の中学から県外入試を受けていたので、安全策を取って確実に受かる所を選んでいて。それを知っていたので、同じ高校を選んだら、また母が何かと比較してくることは容易に想像ができました。Sは県外入試もしていないのに大したことないわねと。自分はお姉ちゃんではなくて、私は私だ。こんな気持ちを持たせてくれたのは、中学の先生達がいてくれたから。それでも、さりげなく姉に高校の様子を聞いてみたことがありました。「私が行っていた高校はあくまで進学希望校だったんだよ。Sが進路を変えて行こうと考えているのは進学校。その違いは大きいよ。周りは結構遊んでいて自由な校風だったから、進学をしたい人達は誘惑に負けないで受験勉強する感じだったの。だから私も遊んじゃって後悔してる。」その話を聞いても、まだどこかで迷いの中にいました。周りに流されない自信はそれなりにあるんだよなと。でも、ネネちゃんは選抜クラスにいて、私が通常クラスに入ったら母に凹まされるのは関の山で、違う高校に入れば比較しようがないだろうと思い決めました。選んだ高校は、噂通りの厳しい進学校、滅入ってしまいそうになることは何度もあったのだけど、大事な出会いもあって。マブダチK君は言うまでもなく、世界史の先生がある意味私の人生を大きく変えてくれたのかもしれないなと改めて思いました。先生は特に東洋史が大好きで、地図入りの綺麗な板書はそのまま私のノートに写されて。好きなものを追求するって幸せなことで、それって人に伝播したりもするのかもしれないなと。恩師に出会っていなければ、大学で日本史を専攻しようとはきっと思わなかった。埃臭い研究室で年季の入った資料を探し、持ち出せないのでその場でコピーをさせてもらい、図書館も書庫出納式で中に学生は入れなかったので、司書の方に何度もお願いし、古くて重くて埃がたっぷり被った本を何度も運んでもらいました。大学図書館で勤務していた時、びっくりする程古い本に出会う時があり、触ると破れてしまうんじゃないかと思うような古書が沢山あって、でもその匂いを嗅ぐと、いろんなことが蘇り、毎回泣きそうになりました。いろんな資料がデータ化され、簡略化され、ものすごいスピードで便利になっていくのだけど、1冊の本にはいろんな人の手や想いが残っていて、紙やインクの匂いでほっとできる人もいて、どうか本という媒体が消えてしまいませんように、そんなことを願いながら働いていたことを思い出しました。世界史の先生が活用してくれた資料集、ページを繰り、別のページを開けている男子にツッコみ、笑いが起き、カラーの写真から世界を感じ、ブックマークをして閉じるとここまで学んできたんだなと嬉しくなって。そんなひとつひとつの時間が、私の中でいつまでも綴じられています。
佐賀の祖母の葬儀に行った今年一月、ひとりで帰宅途中、ふと随分前に母に言われた言葉を思い出していました。お父さんね、できれば男の子を希望していたんだけど、Sが生まれてすごい喜んでいて、あまり感情を表に出す人じゃないんだけど、本を買って一生懸命名前を考えていたの。だから、Sの名前はお父さんが付けたのだと。しかも、今の名字との画数も考えていたから、お父さんは結婚させる気ないのかもと笑っていて、一緒に笑うしかなくて。父は内面的なもの、心というものを意識して名前を選んでくれたのだとずっとそう思っていました。でも、佐賀ののどかな景色を見ていたら、季節感も入っていたことに気づき泣きそうになって。そのことに父本人も気づいていない、でも無意識の間に、生まれ育った風景を思い入れたのだろうと。18年間しかいなかった父のふるさと佐賀、でも、そこで育まれていた父の想いは深くずっとそこにありました。銀行で苦しい時を過ごした終盤の時代はダークグレーでざらざらしていたのに、佐賀にいた父からは緑を感じて。それは、祖父母が大切に育ててきたから。いい時を過ごしていたんだね、お父さん。佐賀駅から特急つばめに乗り、佐賀の穏やかな景色はゆっくり遠ざかり、いろんなことを思いました。帰りは飛行機じゃなくて良かったな、歩いてきた年表をゆっくり辿ることができた。博多駅を出て、山口に向かう新幹線の中、長いトンネルに入って。「お姉ちゃん、ここ海でしょ?お魚さん、隣で泳いでいないね。」そう言うと、「ばっかじゃないの!泳いでいる訳ないでしょ!!」と呆れる小学生の姉がいました。二人で通った佐賀への旅を思い出し、こみ上げた時間。人は生きている間に、どれだけの想いに触れるのだろう。最後に思い出すことがきっと多過ぎて。ありがとうと伝えたい人が沢山いて。だから今を大切に進もう。