言葉のチョイス

息子に算数の教材を使って教えていた週末、ぽつりと伝えてきました。「今学校でやっているのって、もう少し先の問題なんだよ。」え~!!とひとしきり驚くしかなくて。自宅学習が予習気味になると余裕をもって学校の授業に取り組めると思い、二人で進めていたはずが、まさか先を越されていたとは!ここは、口調が強くならないように伝えることにしよう。「最近の宿題、iPadで出されるから、Rも自分でできると言ってやってくれるのはもちろんいいんだよ。でも、紙ベースでなくなった分、どのあたりをやっているのかお母さんもリアルタイムで分からなくなって、もう少し教えてくれたら助かるよ。」男の子だし、年齢も進むにつれて、自分の世界を隠すようにもなっていくだろう、それは自然なこと。相手に要求ばかりするのではなく、届くといいなという希望も込めて。「本当に大切なことを、ひと言伝えてくれることで、ミスコミュニケーションも減っていくと思うから。お母さんも気を付けるよ。算数の授業、週4日あったらそりゃあっさり先を越されるよね。」そう言って二人で反省会。フェイスtoフェイスを大事にしていこうよ。コロナ禍で、沢山のことを学んだね。目の前で笑えること、優しさがこぼれる日、やわらかい世界がそこにあるんだ。

梅雨に入り、気圧の変動にまたやられ、そんな時だからこそ思い出した淡い記憶。アメリカ育ちの元彼は、週に7日働くこともあり、心身ともに本当にタフな人でした。それこそ、遠距離恋愛の方がうまくいっていたような気もしていて。私が関東に引っ越した後も、週末も深夜も働き、夜中に職場から電話がかかってきた時はさすがに心配になって伝えました。「車通勤しているから、終電を気にすることなく働けてしまうし、でも睡眠が足りない中で運転したらやっぱり危ないよ。会社で期待されていることは分かる。でもね、まだ二十代だから無理が利いてしまうことも、どこかで蓄積されて倒れてしまったら私もみんなも悲しいよ。あなたの立場もあるから、私があれこれ言うのは違うのかもしれないけど、そばにいるから見えているものもあるって思うから今日は言わせてもらった。無理はしないで。」「うん。さすがに働き過ぎだなって思った。もう日付変わっているしな。ちょっと気を付けるよ。心配かけてごめんな。」そう言って立ち止まってくれたような気がして、ほっとした夜。それでも、すぐ元に戻ってしまい、ある日私に何気なく伝えてきました。「俺、ワーカホリックなのかもしれないな。」と。自覚があったのか!と少し安堵したのと同時に、彼のお父さんは精神科医だよな、でも息子を診ることはなかなか難しいし、そもそもお父さんがよく働く方でその姿をずっと見てきたのかもしれないなと。彼にとって仕事の優先順位はとても高く、踏み込んではいけない領域のような気もして、あまり深く言えませんでした。そんなある日、平日に有給を取ることができそうだから、休みを合わせてディズニーランドに行かないかと誘ってくれて本当に嬉しくて。そして、彼の車で到着。デートらしいデートができることに胸がいっぱいでした。平日でもお客さんは多く、パンフレットを見ながらわいわい。その後、大きな船に乗ろうと提案し、順番に並ぶことに。すると、彼の携帯に着信が。それは、会社の方からでした。慌てて電話を取り、何やら話し終わった後、また別の方から電話が。列はどんどん前へ、そしてようやく切った後、船に乗る直前に社長からの着信が周りの音で気づかず、伝えてきました。「ごめん。社長からもう一度電話が入った時、船に乗っていたら聞き取れないから、先に乗っていて。俺はここで電話を待つから。」・・・え?一緒に乗らないの?二人で過ごすためにここに来たんじゃないの?あなたの仕事を尊重したい、でも、今日は何か違う。いろんな気持ちがこみ上げ、楽しそうに船に乗る方達を見届け、そばにいました。それから、きっと船に乗ったのだろうけどその景色が飛んでいて、トイレに入り、個室で大泣きした自分だけは覚えていて。夢の国で私は何をやっているのだろう、なんでこんな悲しい気持ちになるのだろう、それを彼に伝えたところできっと分からないし、困らせるだけだ。そう思った時、自分は2番なんだなと思いました。そして、仕事と私の間には大きな開きがある、それはどうにもならないことなのだと。気づくことって悲しいこともあるけど、一歩踏み出せる大事な指標にもなるんだな。元々アメリカで育った彼は、支社があるテキサスで私と暮らすことを願っていました。子供はいらないと言われたこと、それが決定打にはなったのだけど、それだけではなくて。彼にはお腹いっぱい仕事をしてほしい、もちろん体を壊さない程度に、そこに私がいたらお腹いっぱいにはなれないそんな気がしました。だから、お互いの未来を応援し決めた、あまりにも優しい別れでした。

息子と連日熱狂するメジャーリーグ。あの時もし、アメリカに行く道を選んでいたら、私はテキサス・レンジャーズのファンになっていたのかな。毎日仕事に向かう彼の背中を見て、自分にはベースボールがあるからいいもん!とか言って、グローブライフ・フィールドに通っていたのかな。ふと視線を戻すと、大谷選手のバッティングに熱狂する息子がいて、自分が選んだ道に間違いはなかったと笑ってしまいました。別れ際、「100%俺が悪かった。」と伝えてくれた彼。そんなことはあり得ないし、人としての器を今でも感じています。だからこそ、何十年経っても伝えたい。出会えたことに、共に過ごした日々に感謝してくれたあなただからこそ、幸せでいてほしい。この気持ち、海を渡ってテキサスまで届くだろうか。