その時起こったこと -長編-

この話を出すことは、被災された方やご遺族の方がもし読んだら、どんな気持ちになるだろうと思い、敢えて書いていませんでした。それでも、その時起こっていたことを伝えることも大切なのかなと感じ、伝えさせて頂きます。

2011年3月、まだその時、大学図書館で働いていて、図書館の経理的な業務にも携わっていたので、10日締めの仕事を終えてから、11日に母とオーストラリアに行く予定でした。すると、女性の上司から、いつもよくやってくれているから、今回は1日前倒しにして締めて有給に入ってくれていいよという有難いお言葉を頂き、10日の午後、成田空港で母と待ち合わせをすることに。

母は、祖父を滞在型のホームに預けた後、名古屋から成田空港まで国内線で飛び、空港のロビーで待ち合わせ。いつもよりテンションの高い母の姿が嬉しくて。そんな状態で、無事出国。11日の朝、現地に到着し、ホテルでチェックインした後、ゴールドコーストの展望台へ。景色が本当に綺麗で、普段あまりお礼を言わない母が、私に抱きつき、おそらく今までで一番心のこもった“ありがとう”を伝えてくれて、胸がいっぱいでした。

12日早朝、母が一人で砂浜に行くと、現地のおばあちゃんに話しかけられたようなのですが、英語でよく分からなかったと教えてくれて。「津波がどうとかこうとか言っていたの。」それを聞いて、胸騒ぎがし、慌てて名古屋にいる姉に国際電話をかけました。
姉がとても冷静に、「S達は無事に行けたのね。日本が大変なことになっているの。東北で大きな地震があって、津波の被害も酷くてね・・・。」それを聞いて、言葉を失いました。私達は海外に来て、何をやっているのだろう。そんなことを思っていたら、姉が、「そっちを出る時は飛行機が飛んでいると思うけど、もし帰れなかったら電話してね。」と伝えてくれて、ことの大きさに気づかされました。

夜になり、ホテルの部屋でニュース番組を見ていると、津波で木などが流されている様子が映し出され、まさかその状態を南半球で見ることになるとは思わず、呆然としました。とりあえず、予定通りに終えた最終日、ゴールドコースト空港に行って並んでいると、日本の成田空港行きがキャンセルという表示に。慌ててチェックインカウンターへ行くと、すでに関西国際空港行きの便は満席で、その日の帰国は諦めることになってしまいました。急いで職場に国際電話をかけても繋がらず、名古屋の姉にかけたらようやく繋がり、事情を説明。
姉は、すぐに私の職場と祖父が滞在しているホームに電話をかけてくれて、本当に助かりました。

その後、航空会社が提携しているホテルにバスで案内をされたら、たまたま泊まっていたホテルで、また戻ってくることに。翌日の朝、そのホテルで朝食をとっていたら、40代のオーストラリア人の女性に話しかけられました。日本人だとすぐに分かったようで、私の手を握り、「あなたのご家族は大丈夫?私達は皆心配しているから。」という言葉に、こみ上げるものがありました。大丈夫だと伝えると、安堵してくれて。
国は違っても、応援している。その温かい気持ちが、手の温もりから伝わってきました。あの時感じた想いを忘れることはありません。

それから、またバスに乗り、空港へ。その日も成田空港行きはキャンセルで、ようやく関西国際空港行きに搭乗。日本がものすごく遠く感じ、飛行機に乗れたことにほっとしました。

夜、関空に到着すると、私の携帯電話の着信とメールがすごいことになっていて。ありとあらゆる友達が心配して、連絡をくれていたよう。慌てて一括送信メール。みんな安心してくれたのですが、一件、職場の先輩から写メールが届いていて、それを見て驚愕しました。
関東の大学図書館の職場の本が、見事に落ちてしまっていて、凄まじさを痛い程実感。早く仕事に行かなくてはと焦って、新幹線の中で泣きそうになりました。

姉には、「とりあえず、一旦名古屋の家に泊まっていきなさい。」と言われ、父が名古屋駅まで迎えに来てくれて、ファミレスで当分帰るなと言われてしまうことに。それでも、職場が心配だから明朝には帰ると言い切り、周りの心配を振り切って、翌朝新幹線へ。東京方面に向かう電車はいつも混んでいるのに、自由席は私とビジネスマンの方2人だけで、ことの重大さがひしひしと伝わってきました。
駅についても、いつもの電車が震災の影響で完全に止まったまま。かなり遠回りをして、ようやく一人暮らしのアパートへ。
まだ恋人だったその当時の夫が、鍵を持っていたので、落ちたものなどを片付けてくれていたのですが、小さな冷蔵庫がかなり動いていて、地震の大きさを目の当たりにしました。

ようやく、翌日大学図書館へ行くと、職場の皆さんに心配され、棚から落ちてしまった本の整理に追われていて。女性の上司が、「その日Sさんがいなくて本当に良かった。頭に当たっていたかもしれないよ。」と。午後は製本雑誌の担当もしていて、重くて固い本が全部落ちている様子を見て、足が震えました。その上司が10日締めの仕事を前倒しさせてくれなかったら、怪我でもしていたかもしれません。

大学内の放送を先輩がかけ、図書館の整理を呼びかけると、色々な方達が駆けつけてくれて、本気で泣きたくなりました。他の部署の方、教授の方、助手の方、学生さん、中には本屋さんまで。
「私達、いつも図書館にはお世話になっているから。」みんなにそう言われ、分類の説明をしながら、目が曇って、うまく配架できませんでした。
図書館を利用される方は、あまり多くを語りません。でも、こんな時、図書館にお礼を言ってくれる方達がいて、皆で助け合おうとしてくれる想いが館内に溢れ、ゴールドコーストの波の音を思い出しながら、沢山の気持ちで胸が詰まりました。

週末、ようやく夫がアパートに会いに来てくれて、半泣きしながらハグ。「S、無事で良かった。」コアラのぬいぐるみを渡し、あの時やっとほっとできたあの時間はかけがえのないものでした。

パソコンを開くと、ホストママから、「Are you O.K?(大丈夫?)」の文字が。実はゴールドコーストに行っていて無事だったと伝えたら、笑ってくれました。

日本が一つになり、復興を誓い、その裏側のオーストラリアでも、沢山の方達が心配してくれていたという事実。その願いは全く同じものでした。
3.11東日本大震災で、犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。