歩んだ1000記事

今回で1000記事目を迎えました。感無量です。手術をしてから調子の悪い日が続き、でもそこまで見た目は変わったつもりはないからまあいいかと放っておいたプロフィール写真。それでも、さすがに節目には変えた方がいいと思いプログラマーのMさんにお願いしました。その日は別件で会う用事があったものの、絶不調の日でした。撮影はまた別の日に改めて来るよと心配されながら何度も伝えてくれたのですが、多忙なことは十分わかっていて、そして何より不調も含めて今の自然な自分を撮ってもらおうと思いました。初夏を感じさせるような5月の晴れた日、頬がぷくっとしているのは少し微笑んでいるから。いろんなことあったけど、まだまだあるけど、光を浴びてこれからも変わらずこの場所でお待ちしています。最近、様々な所に出没するので、書きづらくなることを懸念して、表情はできるだけ隠しました。それでも、笑って送り出せるように出会った頃と同じ気持ちでここにいます。共にこの日を迎えてくれたことに心を込めてありがとう。

4ケタになるまで休まずここまで来られたのは、言うまでもなく裏側で全力のサポートをしてくれたMさんのおかげです。彼がいなければ、このサイトは成り立ちません。さくらいろで今もい続けられるのは、Mさんの存在があってこそ。この場を借りてありがとう。そして、Mさんの仕事仲間であった技術営業のFさん。このサイトに出て来てくださる人の中で、唯一私が直接接触していないとても大きなキーマンです。『さくらdeカフェ』をオープンさせた後、意見を聞かせて頂きたくてMさんにお願いしました。すると、ここを訪れた後に伝えてくれて。「長い目で見て価値を作っていくことが一番ではないか。サイトで書かれている文章はそういうものだと思いますよ。」その時のFさんの言葉をずっと胸に抱き、ここまで来ました。インターネットの世界は初めてで手探り状態、そんな中で全く面識のない私に届けてくれたその想いは、どんな時も自分を照らしてくれていたような気がしています。Fさん、私はまだまだ道の途中です。でも、Fさんが伝えてくれた“長い目で見た価値”に少しでも近づけたなら、ここまで頑張ってこられて良かったです。お忙しい中、心を砕き、度重なるアドバイスをありがとうございました。全てが私の燃料になっています。走る勇気をどれだけもらったか分かりません。1000記事目の景色はとても綺麗です。

ここまで到達し、とても大切なことを思い出しました。大学を卒業し、塾の講師として働いていた頃、出会った頭のいい同僚。とても話しやすく、何気なく彼女に聞いてもらったことがありました。教職課程が2年生の時から始まり、3年生から始まる司書課程も受講したかったのだけど、父が家を出たりで実家が大変だったから、取得することは一旦見送ったと。すると、私の話から大学で司書講習の集中講義があることを知った友達は、伝えてくれて。「年齢が進む前に動いた方がいいよ。大学の司書講習、学生を募集しているなら入学の論文試験だけでも受けて、それで駄目ならまた考えればいいよ。もっと、わがままになりなよ。」家族が一番先ではなく、Sちゃんの人生が一番先なんだよ、とりあえず受けてみようよ、私が言わなくて誰が言うの?行間から彼女の想いが伝わり、ぐっときました。本当の友達ってこういう人のことを言うんだなと。その後、1000字の論文を書いて送ると、司書講習への切符を手に入れ、道が拓けました。彼女の“とりあえず”の気持ちが私の人生の大きな分岐点になっていたのだと。歩いて来た道、喜んでくれるだろうか。
その後、大学図書館で司書になり、結婚して、男の子を授かりました。祖父の他界、母の精神状態が悪化した時は私も翻弄され、勇気を出してぐっと距離を取るように。自分が受けてきたものの大きさに気づいた姉は、カウンセリングを勧めてくれました。「Sは簡単に弱音を吐かないから、一度プロフェッショナルな人の前でどろどろを吐き出しちゃった方がいい。」と。通い始めると、母の人生を生きていたことを痛感し、凹みながらも笑ってしまいました。37歳で気づけて良かったのかもしれないなと。そんなカウンセリング後に、カフェで待っていたのは友達だったMさんでした。「インターネット上で書いてみないか。Sちゃんの言葉で救われる人、沢山いると思うよ。」それが、このサイトの始まりでした。家族会議で姉と揉めに揉め、大好きな人と傷つけ合うことはこんなにも苦しいことなのだと知りました。母の手術、コロナ禍の休校、家庭内でいろんなことがあり走った下腹部の激痛。ただのストレスだとごまかし続けていたら、とんでもないことになっていました。息子とハグをし、入院。手術日の当日の朝、4年も音信不通だったネネちゃんからメッセージが入りました。Sちんはおじいちゃんとおばあちゃんが守ってくれるから大丈夫だと。涙が溢れました。手術は成功、卵巣は破裂寸前でぎりぎり回避、良性だったものの腫瘍は三つも見つかり、右側半分だけ残し卵管と共に摘出されました。癒着が酷く、ホルモン剤は副作用に悩まされ、散々考えて別居。息子の手を取り飛びました。それから1年の離婚調停、合わない薬と育児と調停と仕事と、ぼーっとしているだけで泣けてくるこのメンタルで、本当にどうしたらいいのだろうと途方に暮れそうになったことも。その度に、地下五階から上を見上げると、そこに光があって、サイトを見るといつも変わらず沢山の人達が来てくれていて、今の私を待っていてくれる人がいるのだと、ぐっと顔を上げました。離婚が成立し、薬の治療も終わって楽になるかと思いきや強い更年期症状が襲い、イチかバチかでホルモン注射を打ってもらうと思いっきり裏目に。液体しか飲めず、それでも息子は隣で笑ってくれていて、彼の笑顔がビタミン剤でした。変えた漢方がゆっくり心と体を巡ってくれて、ここまで途切れることなく辿り着くことができました。ずっと伴走をしてくれたMさんが撮ってくれた写真には、色々な意味が込められています。

姉が大阪に就職し、実家に残って地元の大学に決めた私に、ネネちゃんが電話をかけてきたことがありました。「お風呂で湯船に浸かっている時が、一番ゆっくり思考が巡るから、Sちんのことを考えていたんだよ。なんで妹は諦めないんだろうなって。他の人だったら投げ出したくなるようなことも、Sは逃げないんだよ。私だったらとっくに諦めていることもSちんはそうじゃない。なんで?」「頭が悪いからだよ。中学2年の担任で、信頼していた女の先生が言ってくれたの。Sは要領が悪いから人の3倍努力をしなさいって。そうしたら、結果が付いてくるからって。」「3倍の努力なんてなかなかできないって。その途中で諦めるもん。でもそれをしないのがSちんの強みなのかもしれないね。その途中で得られるものきっと沢山あるよ。」自分から努力を取ったら何も残らないと思っていた、でも1000記事書いたら気づいた。人の想いの深さ、それを知っているから、一人で誰にも気づかれずに泣くこと、その時にかけてもらえた言葉がどれだけ嬉しいか、なんの肩書もなく自分は自分でいいんだってふっと笑ってほしいから、その気持ちが全く知らない方達に本当に届くのだということを。サイトは成長していくものだとMさんが最初に教えてくれました。植えた桜の種は、芽が出ました。そして、沢山のアクセスは水となり、今日もさくらの花びらが舞っています。ここに来て、同じ時を過ごしてくれてありがとう。みなさんの涙の一滴、汗の一滴は、私のエネルギーに変わっています。だから、出会ってくれてありがとう。