参観日と誕生日

幼稚園の敬老参観が、たまたま私の誕生日で、そんな話を母にぽろっと伝えたら、行きたいと言い出しました。膝のことが心配だったことと、なんだかそんな気分にもなれず、自分で行こうと思っていたのですが、本気で行きたそうな姿を見て、お願いすることに。近くにいた息子も嬉しそうで、いつものママより特別感があったよう。
そうだ、息子にとってはいいおばあちゃん、そのことは忘れてはいけない。

当日は生憎の雨で、息子を送り届けた後、一旦自宅に戻り目的地を模索。その後小康状態になり、電車に乗って、お気に入りのカフェの街へ行き、紅茶専門店で美味しいサンドイッチと紅茶とケーキを楽しんでいたら、なんだか落ち着きました。よく分からない、それでも何かいつもとは違う安堵感があって。紅茶の香りがそうさせてくれたのかな。

その後、母宅へ行き、息子と外で遊んでくれていたことは分かっていたので、気長に待っていると、約束の時間になっても帰宅せず。一時間間違えたのかとのんびり構えていても帰ってこない。お互い一度きちんと距離を取る為に連絡先は削除していたので、父に状況を報告。すると『Sのマンションの下で待っているみたいだよ』とメッセージが。慌てて自転車に乗り、エントランスに入ると、ベンチにちょこんと座っていた二人組を発見しました。「どうしてこっちで待っていたの?」と聞くと、「後から場所を変更したじゃない。図書館に行ってから送り届けるって。」やってしまった!その話を母から聞いた時、膝が心配で断ったものの、大丈夫だからと念を押されたことは飛んでいて、母宅に行くことしか頭になく、思い込みの怖さを痛感。
そして、連絡先を未だに伝えない私に対して、寂しがっている気持ちをぐっと堪えていることも分かりました。こんな時、今までの母なら私をなじったのに、幼稚園で楽しかったと話してくれて、図書館で俳句のイベントをやっていて、参加してきた話もしてくれて、なんだか居たたまれない気持ちに。お詫びだけ伝え、なんとなく気まずいままお別れ。市外で羽を伸ばしてきた軽やかな気持ちも、一気に沈んでしまいました。

母といると、いつまた嫌な思いになるのだろうと常に恐怖心と背中合わせ。そのことに十分気づいてしまった自分の気持ちに、嫌悪感。息子にも謝り、慌てて夕飯の準備に取りかかると、色紙に書かれていた俳句の文字が。『うきわつけ ぷーるのなかで おぼれたよ』なんでやねん!浮き輪を付けていたら、おぼれんやろっ。もっと他にはなかったんか!なんなんだ、このツッコミ満載の俳句は!!と思いっきり笑えてきて、先ほどの凹んだ気持ちをまた笑いと共に上げてくれました。これが母の良さ。わざとじゃない、超天然な所。最後に持っていかれたよ。

息子に、「参観中は、おばあちゃんの膝大丈夫だった?」と聞いてみると、「やっぱり痛そうだったよ。でも、Y先生がすぐに大きな椅子を持ってきてくれたよ。」その話を聞き、言葉に詰まって、なかなか返事ができませんでした。先生の配慮に、なんだか心から救われたような気持ちに。
直前まで行ってもらうことを迷っていた。そして、外に出て気晴らしができた後に、自分の抱えているものの大きさを見せつけられた。そんな中でも、母の可愛らしさを感じ、その場にいなかった様子を聞いてみると、先生がちゃんと手を差し伸べてくれていました。

母も息子も私も、救われた。いい誕生日にしてくれたのは先生のおかげ。面白い俳句もね。