たったひとつの言葉

母と息子と三人で出かけた公園帰りの夜。テンションがまだ高かった息子と、くみちゃんを運転士さんにしながら電車ごっこで寝室へ。「くみちゃん電車、ベッド駅に着きました~。」そう言って息子がベッドに入るのが定番だったのですが、なぜかその日はもじもじして立っていたので、膝をついて同じ目の高さになり、聞いてみました。「Rが大切にしているハート。心の中に言いづらいことを溜めておくと、辛くなってしまうから出した方がいいよ。体の中にばい菌が溜まったら体も壊れてしまうでしょ。心も同じだよ。お母さんちゃんと聞くから。」「うーん、ええと、やっぱりいいや。・・・。あのね、ママが今日作ってくれたお弁当、美味しかった。」もうあかん、泣きそうだ。話しづらそうにしていたので、すっかりマイナスの内容だと思っていたのに、そんなことを伝えてくれるとは。普段、ほとんどお礼を言わなかった母が、私のお弁当の写真を取り、とても喜んでくれていました。その姿を見て、自分もママに伝えようとその日ずっとタイミングを考えてくれていたのだと思います。直接教えるのではなく、誰かの振る舞いから学ぶこと。あなたに教わることの方がはるかに多いよ。「R、そんな気持ちを伝えてくれることで、お母さんの疲れが吹き飛ぶよ。こちらこそありがとう。今日楽しかったね。」ぎゅっとハグして就寝。いい夢見てね、そう思いながらこっそり泣いたキッチンの中。

そんな息子の始業式前日。学校の準備を二人でしていたら、ホワイトボードに何かを書き込んでいました。『あしたから2ねん生。おめでとう。』そうか、2年生か。なんだかもうそれどころではなく、感慨にふけっている余裕なんて飛んでしまっていたのですが、息子の何気ない言葉に胸が熱くなりました。「おめでとう!」階段をまた一段上がるということ。その喜びを忘れたらダメだね。そして、私も一緒に2年生。また二人三脚で頑張ろう。
そういった気持ちを抱えた夜、色々な想いが交錯し、あまり眠れない中、2倍速で身支度をした朝。一緒に2年生を踏み出したくて、パソコンバッグを自転車に入れ、学校の途中まで見送りました。「ママ、毎朝一緒に行きたい。」そう来ると思っていたよ。休校中の登校日だけでも頑張るか。1日で力尽きたとしても、この日のことを忘れないでいよう。1年生に配られた黄色のランドセルカバーを外し、黒のランドセルで2年生を迎えた日。世の中が少しいつもと違っていても大切なこと。

途中で仲良しのKちゃんの娘ちゃんと合流できたので、あっさりバイバイ。それでも、何度も振り向く息子をみてこれはもう背中を向けた方がいいと思い、そのままスタバへ。まだ桜が満開の景色を見ながら、ふと思い出した大学の教職課程。
尊敬する教職課程トップのご年配の教授が、ある時講義中に伝えてくれました。「僕ね、実はこの場で言うのも何なんだけど、胃がんでね。抗がん剤治療を受けながら教壇に立っているんだ。調子がいい時と悪い時があって、今日は副作用で顔が酷い状態だからあまり近くで見ないでね。隠そうとも思ったんだけど、教職課程を学んでいる君達にこの姿を見てもらうこともいいのかなと思って。ここだけの話、医者から食べてはいけないというものをどうしても食べたくて、薬よりも効くんじゃないかと思って自分のご褒美に食べたら一時的に良くなったんだよ。その後の反動はご想像にお任せする。でもさ、辛くなることが分かっていても、医者を無視して好きなことができてなんだかまた頑張れる気がしたよ。そんな何でもない体験をちょっと聞いてもらいたくなった。まあ、私の話はいい。君達に伝えたいのは、『生きる力』だ。これからの時代に、教育をしていく中で忘れてはいけないのがこの言葉。どんな世の中になっても、自分で立ち向かっていく力を子供達に身に付けさせてあげてほしい。」教職課程とは言え、眠たい講義もある中で、その教授の授業は聞き逃すものかと誰もが真剣に耳を傾けていました。生きる力、その言葉がこういった時期に大きく生きてくることを教えてくれた人。恥を晒してまでも、届けたい想いがあるのだと、満身創痍で教え子に残そうとしてくれた恩師。