人は変われる?

父が関東に来てから、すっかり燃えつき症候群にでもなってしまったのか、片付けのやる気を無くしてしまい、一時的なものかと思い放っておいたら、さすがの母もしびれを切らし、私にやんわり相談。最後に姉と家族会議をした時、散々言われた言葉が頭を過りました。「もう二度と、親の間に入ったらダメ。」だと。同じことは繰り返さない為に、この球を父がどう受け止めるのか、信じながら怒りのメッセージを送信。『お母さんなりにお父さんの様子を見ながら、うまくやっていきたいと頑張っているから、その気持ちに応えてあげてほしいと思うよ。』と。これ怒ってないな、やっぱり甘いかなと思っていると、母からLINEが。『あなたのメッセージ、お父さんが見せてくれて涙が出ました。娘の力は大きく、お父さんがやる気になってくれました。ありがとう。』本気で面倒くさいなこの人達と思いながらも、彼らの素直さに救われた朝。とことん距離を取ったことで、ようやく報われたような気がしています。

プログラマーのMさんが年末に貸してくれた『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社)。この慌ただしい中で、なかなか読めていなかったのですが、ようやく4か月程かけて読み切りました。発行年は2013年。このタイトルが気になっていたものの、ようやく手にしたのは7年後。やはり、自分にとってベストだと思うタイミングで一冊の本に出会うものなのかなと漠然と思いました。心理学と哲学を同時に味わわせてもらったかのような心地のいい余韻。こういった感情を抱くのは私だけじゃないんだなとか、真逆のことを言われて素直に受け入れられる器、今の私にあるのかな、そういったものを持てたらもう少し世界が広がるのかなと、やはり主観ですっと入ってきた一冊でした。
大学在学中に、一般教養の中で受けた哲学の講義。教授の話し方がとても単調でただ眠たいだけの時間が流れ、結局半分就寝。最終的にレポート提出で単位が取れてしまったので、いくつかの参考文献を必要な箇所だけなんとなく読み、終了してしまいました。見事に何も残っていなかった講義の中身。哲学って難しいなという感想だけで終わっていたものが、また一つ形を変えてこの年になって学べたようで。老後は忙しくなりそうです。自分の最期は本かハーゲンダッツに埋もれたい。

祖父の最期の時。棺桶に母がそっと入れたのは、最後に祖父が読んだ戦争関連の本でした。なかなか粋なことをしてくれるじゃないか。その本を見て、葬儀担当者の方に大丈夫なのか改めて聞いてみると、紙なので燃えるから問題ないということでした。冊子の良さがこんなところで感じられるなんてね。視力が段々と落ち、大好きだった本まで医師に制限され、糖尿病で大好物のあんぱんも食べられなくなった祖父。わがままが酷くなり、母も参っていました。入院先が総合病院から専門病院に移り、医療費がかさみ赤字が出た後、私の息子の顔を見て、間もなく他界。その時姉がぼそりと私に伝えてきました。「お母さんさ、おじいちゃんがいつも私にはお礼を言ってくれないなんて嘆いていたけど、おじいちゃんいつもお母さんに感謝していたんだろうね。医療費に赤字が出た途端逝ってしまったからね。おじいちゃんが残してくれた遺産って、お母さんに対するお礼の形だったんだろうね。」
毎月、祖父の月命日にお供えされるあんぱん。「おじいちゃんに、最後ぐらいお腹いっぱいあんぱんを食べさせてあげたかった。それだけが心残りでね。」それが最近の母の口癖で。親子だからお互い素直になれなかったけど、心の奥底で気づいていたはず、大切にされていたのだという実感。

父が美味しそうにお酒を飲んでいる傍らで、私が食べた食器を片付け始めようとしたら母に制止されました。小声で、「まだお父さんがお酒を楽しんでいるから、片付けはいいのよ。ゆっくりしていなさい。」と言われ驚きました。私が食器を洗うのは当然で、父にそんな気の使い方もできなかったはず。お父さん、今の言葉聞こえないふりをしたらダメだよ。
人は変われる、本当に大切な人を守りたいなら。