自分にできること

夫が2週間弱の休業に入った日、息子の勉強を見て、掃除をしてからものすごい勢いでシェアオフィスへ。その近くで開いていたカフェがあり、一組のお客さましか見えなかったので、短時間だけでもと思い、入店。席に着こうとすると、店員さんに止められ、「検温をお願いします。」と言われ驚きました。その徹底ぶりが有難く、「36.6度です。大丈夫そうです。」と伝えると安心してくれて。マスクも着用しており、アルコール消毒もして、いつもとは違うセルフサービスのスタイルになっていたので、お会計をしてから席に着きました。接触したのは、一人で切り盛りしていた店員さんだけ。自分にできることは限られているけど、小さくても経済を回すこと。ご迷惑にならない範囲で、いつもお世話になっている“カフェ”に返していく。それがこのサイト以外にできる、私のベストなのかなとも思っています。

両親の同居が始まり、落ち着いた頃に連絡をもらい、息子と出向くことに。近くのお店でシュークリームを買い、やっている花屋さんを思い出し、そこへ向かうと色とりどりの花を見てなんだか胸がいっぱいでした。花も生もの。頑張って咲いても、購入されないものは廃棄されてしまうんだろうなと。複雑な気持ちを抱えながら目に留まったのは、ガーベラのミニブーケ。ここは迷わずオレンジのガーベラを選びました。「このお花、まだつぼみのものもあるね。これから咲くのが楽しみだね!」「何色が咲くんだろう。おばあちゃん達、喜んでくれるといいね。」そう言いながら包んでもらったブーケ。『冒険心』、二人の新しい門出にふさわしい花言葉で贈りたい。

チャイムを押し、息子がブーケを後ろに持ち、出てきた母がかがんでハグ。「この間は、旗でのお見送りありがとう。」とってもいい表情をしていた母の未来は、明るいと思いました。そして、リビングに入ると相変わらず普通の父がいて、そのアンバランスを内心笑いながらも、二人にソファに座ってもらいました。せ~の!「ようこそ○○(うちの市)へ!これから二人で頑張ってね!」二人で練習した通りに言った後、息子から父にブーケを、私から母にシュークリームを渡すと感激してくれました。お父さん、頼んだよ。心の中で呟いた私の言葉、父に届いただろうか。あなた達の二十年、見てきたよ。それは空白ではなく、離れたからこそお互いの存在に感謝できた年月、そうであったと思えたからこそ、また同じ屋根の下で暮らすのだと信じたい。息子を間に挟み、スマホでパシャリ。この日を、この時を忘れないでいてね。
その後、母の時と同様、この街で人気のゆるキャラのキーホルダーを付けて母宅のカギを父に渡すと、さらっと受け取ってくれて。感慨もないんかい!!このおっさんは、ドラマティックな何かよりも、日常を楽観的に生きる時間が好きなんだろうなと、その中にちょっとスパイスがあれば尚よしみたいな・・・。関連会社に出向となり、どれだけいい感じで丸くなってくれたの?!

以前、父の弟(六本木のアマンドで待ち合わせをした叔父さん)が、実家が冷めきっていた頃、電話で伝えてくれたことがありました。「間に入っているSは一番辛い立場だ。でも、子はかすがいの時もあるよ。関係が修復するかもしれないし、しないかもしれない。でも、子供を通して何か感じられることもあると思うんだ。なんでか分かるか?お前が諦めないからだよ。」その時の言葉がずっと胸に残っていました。そして、祖父の他界。とても冷静に、そしてど真ん中ストライクの言葉を二人に伝えました。「お父さんは養子でこの家に入り、お母さんはおじいちゃんとお父さんの二人の間に入り、お互いが遠慮をしあわなければいけない環境の中に、最初から入っていたのだと思う。子供も生まれ、仕事に追われ、なんとなく家族をやっていたけど、この人達、本気でぶつかり、夫婦になったことあったのかなってずっとそう思っていた。私もお姉ちゃんも結婚して、おじいちゃんが亡くなって、もう二人になったんだよ。夫婦ってこういうものなんだよって、今度はお父さん達が私に教えてくれる番じゃない?本当に娘には悪いことをしたと思っているのなら、残りの人生でそれを見せてよ。そんな姿を見て、私もようやく二人のことが許せるのかもしれない。もう知らないよ。あとは二人で考えてね。それは、おじいちゃんの遺言でもあるよ。」溢れそうになる涙をぐっと堪え、本当に伝えたいことを伝えました。それを近くで聞いていた姉が後から話してくれて。「Sがあそこまで言って変わらなければ、もう人としてどうかと思うよ。十分過ぎるぐらい伝わったでしょ。あの人達、あんたに感謝しないと本気で罰当たるよ。なんかさ、幸せな親だよなって思った。ここまで言ってくれる娘、なかなかいないよ。」
両親に腹を立てながらも、Sがそこまで言うなら私も乗っかるよ、でもこれ以上アンタを傷つけたら私が許さない。きっと姉はそれを遠回しに伝えてくれたのだと思いました。

まだ父の物で溢れかえっていた同居生活。「このバカラのペアグラスね。お父さんの退職記念に頂いたの。高級品で割ってしまったらどうしようってドキドキするわ。」と嬉しそうに話してくれた母。本当の新婚生活が始まったね。随分遠回りしたけど、いい旅だったんじゃない?それぞれがそれぞれの場所で助けられたこと、忘れないで。亡くなる直前に、受け取ったブーケを思い出してくれたらそれでいいよ。