週末、息子が友達とお祭りに行くと言い出したので、玄関まで見送り、天気も良かったので自分も出ることにしました。目的地は、彼の成績が伸びなかったことも想定して、実際に行ってみたい高校があって。ネットで調べれば情報は得られる、でも百聞は一見に如かずだというのは昔から変わっていなかったので、スマホからナビをセットし、自転車に乗りました。骨伝導のイヤホンから音楽を聴き、左折の案内があったものの、完全に無視して右折することに。ナビになってないじゃん!と自分でツッコミながらも、どうしても通ってみたい道があったのでそこを経由しました。車のナビでも、遠回りになっても結局は辿り着くんだよねと思っていたので、そんな時間も楽しむことに。すると、すぐに激坂が待っていてあっさりへとへとに。ようやく上り終えたと思ったらすぐに下りが待っていて、その繰り返しで、途中で心が折れそうになりました。それでも、やっぱり向かいたくて、散々遠回りをして1時間かけて到着。頭痛持ちの息子には、この通学きついだろうなとそれはそれでひとつの解に辿り着き、帰りは別のルートで帰ることに。濃尾平野の名古屋で育った私には、急な坂の上にあった岐阜の社宅が本当に大変で。なんで今日、習字道具もお道具箱も持って帰らなきゃならないんだと両手いっぱいに抱え、ランドセルを背負い、日が暮れる薄暗い道をひたすら上った自分を思い出しました。そして、大学1年の時にマウンテンバイク部のメンバーと阿蘇山を上った時のことも蘇ってきて。あの時、自転車が故障してもなんとか頂上まで辿り着いた、もしかしたらママチャリでもいけるんじゃないかと、今回のサイクリングで変な自信がついてしまい、そんな未来もいいねと思いながらのんびり帰宅。往復2時間のプチトリップは越えてきたレビューのようでもあって。どの道を使ってもいつか到着するんだよ、諦めない限り。
昨晩、明日は音楽のリコーダーの実技テストがあると息子が言い、お風呂から上がったら聞かせてねと伝えた後、練習を聞いてみると同じ所で間違えてしまい、彼がイライラし始めました。寒暖差も大きく、何かひとつ上手くいかないとそれが引き金になり荒れるのはいつものパターンで。「週末も時間があったから、やろうと思ったら練習もできたはず。前日に慌てふためくのではなく、前もって準備をしていたら不安が安心に変わると思うんだ。」こんな時に正論を言っても逆効果だなと思っていると、また寝転がりリコーダーをテレビに向かって投げてしまいそうだったので、慌てました。テレビを壊されたのもちょうど一年前だったなと構えてしまって。母は、何かひとつ気に入らないと豹変する、こんなひどい娘産むんじゃなかったと。何でもっと私の気持ちを分かってくれないんだと、いろんなことを言われました。それを完全にスルー出来たら良かったのだけど、その術を知らない私はこれ以上怒らせてはいけないと、きっとコントロールされてしまっていて。とても深く苦しい時間でした。息子にはそうあってほしくない、泣きわめいて感情を爆発させるのは自分自身も相手も辛いことだと、本人を傷つけずにどう伝えたらいいのだろう。執刀医に残してもらった右側半分の卵巣を守らなければ。ひとつ大きく深呼吸をし、背中をさすりながら伝えました。「自信ってね、本当に小さな小さな積み重ねだと思う。前日だけその場凌ぎでやった所で、先生達は見抜いてしまうんじゃないかな。これだけ練習したよって胸を張れたら、当日もし失敗してもそこから立て直せるかもしれないよ。完璧な人はいない、でもね、努力を重ねた人にしか辿り着けないものがあるって思う。お母さんね、優しい言葉をかけてあげたいけど、今日はできそうにもない。もしそうしたらRは結局同じことを繰り返すと思ったから。誰かと共に生きていくってどういうことなのか、ゆっくり考えてみて。相手をコントロールするのではなく、自分を知って自分の機嫌をとってあげてね。それができたら大きな人になるよ。」言葉をかみ砕いて、本当の意味で理解できるのはまだ先かもしれない、でもねコクンと小さく頷いたあなたはもう歩き始めているよ、自分の足で。辛いけど、成長する上で大事な夜。
塾の講師時代、合コンで知り合った6歳上の男性とメールのやりとりをさせてもらった時期があり、遠投が待っていました。毎朝、出勤前にそのニュースについてアナウンサーがどうコメントするのか、うんうんと色々考えさせられながら家を出るのが日課になっているのだと。思慮深い方だなと思いながら、共感し、こちらも何気ない話を伝えることに。焼き菓子を作るのが趣味なのだけど、ベーキングパウダーってとても大切で、それがないと膨らまないんです。生クリームやフルーツって見た目も味も大事な役割だけど、私はベーキングパウダーでありたい。目立たなくていい、でもそれがあるから美味しい焼き菓子になる、そんな風に生きていけたらと伝えると返信がありました。Sっぴ、強いな。23歳の女の子が言える言葉じゃないぞ。いろんなことを経験してきたんだろうな。その歳で自分を持っている。その文面を読み、こんな風に感じ取ってくれる人がいて、苦労も悪くないなと思いました。大学在学中、大阪にいた姉の女子寮で弱音を吐いたことがあって。「大学のみんな、私がいいとこのお嬢だと思っていて、実際は全然違うからそのギャップに時々悩まされてる。」「うん、分かるよ。でもね、悲壮感を漂わせることなくいいオーラを醸し出そうとしているSちんの努力もあると思うんだ。負の雰囲気をいつも纏っていたお母さんのようになったらいけないと思うSちんのこと、分かる人には分かるよ。」そんな気持ちに何度も支えられてきた。
どうやって人格は出来上がっていくのか、それはずっと学びたいテーマでもあって。その環境にいたから?誰かに出会ったから?その経験があったから?いろんなことが取り巻き、その人になっていく。でも、それもまだ道の途中で。出会う方達の土台を知りたいと思う。あなたがあなたでいられているのはなぜですかと。その想いに触れたいと思う。心が折れそうな時も、その何かがきっと支えになっていたと思うから。心から笑ってほしい、その目的地はずっと同じままです。毎日を駆け抜けよう、共に。