上を向く

父の退院の日、二人で荷物を片付け、無事に自宅に戻ってこられたと母から連絡が入りました。そして、明日退院祝いをするから息子と来られないかと。ちょっと迷ったものの、行くという返事をすることに。すると、舞い上がった連絡が次から次へと入り、すしパーティをするから、私に準備をしてほしいとのこと。長い一日になりそうだなと思いつつ、最後は息子と笑うぞ~と決めて乗り切ることにしました。誰の為の選択をした?これはもしかしたら、二人の祖父の為に。彼らの想いを乗せた、そんな一日の始まり。

その日は金曜日、息子を見送り、台風の影響で朝から絶不調で困惑しました。それでも、酢飯用のご飯を炊き、短時間だけパソコンを開いて、状態が上向くように祈った時間。だめだ、今日はだめな日だといろんな薬を飲んでみてもことごとく空振り。それでも、なんとかやることをやって息子を迎えに行き、予約していた小児科の予防接種へ向かいました。すると、いつもの穏和な先生に会い、親子でほっ。その後、薬も処方してもらい、薬局へ行くと30分待ちだったので、約束の時間に行かないと母の怒りを買いそうだなと思い、慌てて両親宅へ向かいました。すると、オートロックは入れたものの、玄関前のピンポンを鳴らしても出ない。もしかして鍵開いてる?と思い、ドアを開けるとパジャマ姿の父が誰かと電話をしながら近づいてきて。「待ち合わせしただろ?」「え?してないよ。」「スマホに何か入っているんじゃないか?」「え~!見てないよ。そんな直前に言われても~。」と母に対してプリプリしていると、どうやらその電話の相手は札幌の叔父だったらしく、こちらの怒りの声が筒抜けだったかもと思ったものの、叔父さんだからまあいいかと思い、仕方がないので息子ともう一度家を出ることに。すると、スマホに残っていた待ち合わせ場所でようやく母と会うことができ、息子と生ものを買ってきてくれるということで、先に戻り準備をすることにしました。その時点でマリオ×1、また戻り仏壇に手を合わせ、キッチンに立つと、きゅうり切っておいて!等々偉そうに色々書いてあったので、なんだか腹が立って。そして、父は大きな音でテレビを点け、大きな音でパソコンからYouTubeを見て、さらに親戚と思われる方から電話が入り、めちゃくちゃ人の良さそうな受け答えをしているので、ブチ切れそうになりました。そんなに外面がいいのなら、そのプラスのオーラをもっと内側に向けなさいよ!と。それでも、さすがに退院翌日の父にキレている場合ではないと思い、ぐっと堪えていると、まな板を置くスペースもない程ごちゃごちゃしていて、食器はべたついているし、横になって寝たいと途方に暮れそうになりながら、なんとか調理を開始。それでも、電話を切った父には、さすがにこちらが青筋を立てて半ギレしながら準備しているのは伝わったらしく、一切話しかけられませんでした。それはそれで腹立つがまあ仕方がない。それから、母と息子が帰り、ちゃっかりおもちゃやお菓子をゲットしていて、ふっと笑ってしまいました。その後、準備は整い、退院祝いは賑やかに行われて。すると、お酒の入った父が手術の跡を見せてくれて、その姿が佐賀の祖父と同じで、胸がいっぱいになりました。祖父もがんを患った後、佐賀に行くと大きな傷口を孫の私に見せてくれて。なんだろうな、親子でこんな一面が似ているなんてね。そう思っていると、急に名古屋でのことが思い出されました。佐賀の祖父に会ったのは、遠かったこともあり、もしかしたら二桁もいっていないのかも。そんな中で、祖母と二人で名古屋まで遊びに来てくれたことがありました。その時、佐賀の祖父は、実家にいた祖父を立て、“お義父さん”と呼んでくれていて。「お義父さん、お体の具合はどうですか?」と。祖母の前では喧嘩も多かった佐賀の祖父、それでも、養子に入った息子がお世話になっているからとそこにはいつも謙虚さがあり、おじいちゃんに対して一歩引いて穏やかに接してくれていました。何十年も経ち、その偉大さに、父を通して改めて感じられたような気がしています。大学の終わりに佐賀へ行き、一緒に新幹線に乗ってくれた祖父。父に連絡し、車で迎えに来てもらい、一人暮らしのマンションへ。父と向き合った祖父は伝えてくれました。「一人暮らしなんて不経済だし、あちらのお義父さんに頭を下げて、戻りんしゃい。」その言葉がどれだけあたたかかったことか。反論もせず、黙って聞いていた父。そりゃそうだよね、おじいちゃんが伝えたかったのは、親の愛なんだから。おばあちゃんは、行ったところで何の役にも立たないと言った、そんなことはなかったよ。どこかで孤独だった父の心におじいちゃんの優しさは沁み入った、そして孫の私はそっと一人で穏やかな涙を流すことができた、だから佐賀のおじいちゃんにありがとうなんだ。この話、実家のおじいちゃんにこっそり話しておけば良かったかな。話したら期待をさせてしまうと思って言えなかった、色々あったね、本当に色々。託されたもの、その大きさを知る。

退院祝いで散々笑い、あまり食欲のなかった私にようやく母が気づき、食器洗うのはいいわよと言ってくれました。そのひと言が本気で有難くて。「S、今日は準備してくれて助かったわ!」キッチンに立った時は、ハリケーンのような感情が巻き起こったけど、おじいちゃんとおばあちゃん、うちの両親を見守ってね、仏壇に手を合わせる優しい波の時間。息子と二人で父を労い別れ、母にはまた旅行に誘われたので丁重に断ると、寂しいながらも頑張って理解しようとしてくれているのが分かりました。今日は、プクプクに見えた!とこっそり安堵しながら笑顔でお別れ。すると帰り道、息子がぽつり。「疲れた~。けど、楽しかった!」と。笑って帰れて良かったね。「今日は頑張ってくれてありがとう。」息子とは以心伝心、この糸電話が不通になることはあるだろうか。そして、札幌の叔父に全然父の近況を伝えられていなかったことを謝ると返信が。『今日も電話中にSの声が聞こえてきて、嬉しく思いました。家族の支えが一番ですね。』とにこちゃんマーク付き。やっぱり聞こえていたんかい!半切れモード、札幌の叔父はそれも愛だと笑ってくれるかもしれない。