健康診断の結果が届き、心電図はなぜか経過観察になってしまったものの、乳がん検診には引っ掛からなくてほっとしました。そして、半年ぶりの婦人科へ。ドアをノックし、挨拶をしながら先生の前に座ると、笑顔で伝えてくれました。「その後、調子どう?」「あれから下腹部の痛みが減ってずいぶん楽になりました。ただ、全然生理が来なくて、やっぱり女性ホルモンが出ていない不調を感じています。」「いつから来ていないの?」「手術してからずっとです。」「マジで?!」いつも穏和な産婦人科部長、執刀してくれた先生はどこか体育会系な所もあり、いきなり若者のようなリアクションを取るので、思いっきり笑ってしまいました。「ちょっと診てみるから隣の部屋に行ってね。」そう言われ、内診をしてもらうことに。すると、画像を見ながら、「あ、ほんとだ!」と言ってくれるので、余計に笑えてきて。そして、改めて対面すると先生らしい言葉が待っていました。「女性ホルモンの数値は、血液検査をすると出るから最後にやっていってもらうね。ホルモン補充は、それはそれで何かしらの反動があるかもしれないから止めておこう。まずは、下腹部の痛みが戻っていなくて良かった。癒着が酷かった時のことを思ったら、天国と地獄程の違いだよね。」悪い事よりも良い事。いつもそうやって少し先から明るい方へ引っ張っていってくれるのを知っていました。元々腫瘍が見つかった左の卵巣だけを摘出する予定が、手術中に右側にも腫瘍は見つかり、それでも女性ホルモンを出すために、どっと更年期障害に悩まされてしまわないために、先生の判断で右側の卵巣を半分残してくれました。その小さな卵巣が、○○さんを支えてくれたらいいねとそんなメッセージを受け取った退院前。それから3年経ち、なんだかいろんな気持ちがこみ上げました。どんな自分とも向き合ってくれて、先生ありがとう。「痛みが緩和されたのは本当に有難いです。更年期症状は、何か軽くなる方法ありますか?」「大豆食べて、大豆!食べ過ぎも良くないから、うまいこと調整してね~。」大豆か、私にとっての“せんず”だな、そんなことを思いながらお別れ。ドアを閉める度、少しジャンプしたくなる先生のエールに今日も感謝。
そして翌日、学校でもちつきのイベントがあったので、土曜日もいつものように送り出しました。後から駆けつけるね!と言ったものの、お父さん達も多いイベントはちょっと辛いなと思いながら準備開始。すると、自転車に乗っている途中で、こちらに気づき挨拶をしてくれたのは野球チームでコーチをしてくれた同級生のお父さんでした。なんだかぐっときて。息子は、野球がずっと大好きです、コーチ達のおかげです、そう伝えたかったものの、隣にお母さんもいたので心の中で届け、笑顔で挨拶してその場を離れました。細く長く続くご縁とはこういうものなのだと。さてさて、グラウンドに到着すると、すでにイベントは始まっていて、息子の方がこちらに気づき、小さく手を振ってくれました。どうやら椅子に座り、スタンプ係をやっている様子。せっかくなので予めもらっていた紙に押してもらうと、隣にいた女の子が「Rのお母さん!」と声をかけてくれました。1年生の時から息子と仲良くしていた目がくりっとしたかわいい子、ひと言だけ伝えることに。「○○ちゃん、いつも遊んでくれてありがとう!」すると、とっても嬉しそうにナイススマイルを見せてくれました。息子の世界は今日も穏やか、こんな毎日をきっと幸せと呼ぶのだろう。
その後、担任の先生と雑談し、仲良しのKちゃんと合流し、もちつきの時間がやってきたので、臼の周りに行きました。すると、2年前に広報委員の役員としてエプロンを身に着けて参加した時のことが蘇ってきて。その日は、元夫と離婚の話をしてまだ数日しか経っていない時でした。これから思いっきりジャンプをする、その不安感はどれだけのものかまだ見えず、それでも、自分や息子のことを信じようと思いました。ひたすらパック詰めをして、ただ前だけを見ようと願った時間。とても良く晴れた日で、その天気にも助けられたようでした。今回も同じような快晴、臼の周りには息子のクラスメイトが集まり、賑やかな笑顔があって。今回のイベントは写真撮影が禁止され、どの瞬間を自分の中に残しておこうかと思いました。きっと、今まで数えきれない程、心の中でシャッターを切ってきて、その情景は、それはもう容量がいっぱいの状態で。そのひとつひとつをたまに取り出して、何かの瞬間に溢れ出るからそれをこうして紡いでいるのかな、だとしたらやっぱりもう書くことがないなんていうことはないだろうな、そんな気持ちが過りました。息子が、何度も私がそばにいるか振り向いてきて。周りには、お父さん達も沢山いて、それでも彼はやっぱりどこかで開き直っているようでした。ママとの時間を大切にする、そんなメッセージを感じました。息子が杵を持ち、ぺったんぺったんぺったんと3回ついて。1回目、旭川に行った時のこと、2回目、仙台、3回目、日帰りで三島に行った時に食べたお米を思い出し、息子と二人で歩いてきたこの2年を辿りました。険しい時も通過した、それでも確実にあった光。助けられてきたね、沢山の人に。円になり、息子のもちつきを笑って見守るみんなの姿を見て、気持ちの中でシャッターを切りました。このぬくもり、忘れるものか。
最近彼の中でブームが来ている、折り紙を使った手裏剣作り。白と淡いピンクの折り紙をこちらに渡し、ママの色!と言ってくれました。こんなに嬉しいのはなぜだろう。いろんなことがあった、本当にそんなことの繰り返し。それでも、自分のカラーを大事にしよう、そう思わせてくれた夜の出来事でした。「ボク、もっと小さい頃は白って色がないじゃん!って思っていたの。でも、そうじゃないってようやく分かった。水色の空にある白い雲っていいね。ママが好きなの、ちょっと分かった気がするよ。」そこから薄いピンクになる時は、“さくらいろ”。ここ数年支え続けてくれた大切な色、いつか息子に届くだろうか。