母の入院に付き添い、必要な物を買って送り届け、母のマンションも用事で往復するようになり、ちょっと時間が経った頃に、あっさり風邪を引いてしまいました。そんなものです。
気を張っている時は、意外と大丈夫なのに、ふっと力が抜けると疲れがどっと出ることもありますね。初期症状で何とかなっているところが有難い。
小学校で勤務していた時、ちょっと怖そうな女の先生が、いつもハツラツと子供達の相手をしていて、逞しい女性のイメージだったのですが、夏休みに入り学校へ行くと、校長先生がこっそり教えてくれました。
「○○先生、長期連休に入ると気が抜けて、必ず風邪を引いているみたい。いつも強気でいるけど、普段はピーンと張ってくれているのかもしれないね。」と。気の強いタイプの先生だったので、どこかで苦手意識を持っていたのですが、人間味のある姿に、逆に親近感。先生、たまにはゆるゆるでお願いしますと、廊下ですれ違うタイミングで密かに送ったエールが、なんだか懐かしいです。
風邪を引くと必ず思い出すのは、やっぱりその気持ちが分かるからなんだろうな。
自宅で、風邪薬を飲んで、おとなしくしていればいいのに、それでは余計に病気モードに突入してしまう気がして、勢いでいつものスタバへ。接骨院の先生にまで、「体がガチガチなのは、自立神経が影響しているから、できるだけリラックスしてくださいね。」と言われたので、悪循環に陥らないように意識を高めています。
だってね、私の眠りが浅い大きな原因だった母と接し、介護を引き受けている。それが、どれだけ気を張っていないとやっていられないことなのか、どれだけ心の休養が必要なのか、認識しないとあっさり崩れるよ。そんなことを、毎日自分に問いかけながら、緊張と緩和で頑張っています。
私が大好きな本。『号泣する準備はできていた』(江國香織著、新潮文庫)。本屋さんでなんとなく好きな作家さんのタイトルだけを、見て回ることがあるのですが、以前この背表紙を見た時、本気で泣きたくなり、裏の解説を見ることもなく買ってしまいました。多分私は、いつも号泣する準備はできているのだろうと。でも、それは私だけではなく、誰の中にもある溢れそうな気持ちで、いいことも悪いことも、わっと泣いてしまった方が楽になることもあるのかなと、ぼんやり思った20代。
そして、今の私は、母の両膝の手術が終わって落ち着くまで、泣いたら糸が切れてしまいそうなので、ぐっと堪えて平静を装っていて。
とは言っても、あまりのマンションの汚さに探し物が見つからない!と4人部屋であることも忘れて、母に説教してしまい、若干泣かせ、父には私がブチ切れるのは時間の問題だから、1年前倒しで関東に来ることも考えてと電話で文句を言ったら、少しだけすっきりしました。
いい娘でいることは、そろそろ引退しないと。私には私の生き方がある。今は、その殻を破る為のエネルギーが、熱となって出ているだけ。改革するには痛みを伴うこともあるよね。
でも、その痛みは、確実に前とは違うもの。1人で背負い込むのではなく、両親に気づいてもらう為の優しい苦痛。気が緩んだからこそ見えた、自分の本音。
幸せになろう。