開き直ってみる?

最近息子がはまっている『ピクミン4』のゲーム。一緒に公園にいると、植物の陰からピクミンが現れるような気がして不思議な気持ちになります。そういえば、少し前に私の方がすっかり『スイカゲーム』に没頭してしまい、テトリスにのめり込んでいた学生時代が懐かしくなりました。そして、あることに気づいて。『スイカゲーム』の方が楽だなと。その理由を考えていたらあっさり答えが見つかりました。それは、とことん自分のペースを守れるから。テトリスの場合、最初は余裕だなとどんどんブロックを落として綺麗に並べていくのだけど、途中からスピードが速くなり、その時点で自分の頭が混乱し、穴は増えるは思いもよらぬところに落としてしまうはであっさりゲームオーバーに。『スイカゲーム』の場合、最後までペースを守り戦略を立てることができるので、ものすごい時間をかけていつもスイカを作り、息子に笑われています。「作れるのはすごいけど、ママ遅い。」と。いやいや、お母さんにとっては大事なことなんだよ~とわいわい。せっかちな息子のリズムに合わせなければならない日常が、もうテトリスのようなんだよなと笑ってしまった夜。スピードよりも正確さを求められていた司書の業務は、やっぱり自分の適性に合っていたのかもしれないな。そして今もね。

昨日は、また気分転換をしようと髪をばっさり切ってきました。それでも酷い睡眠不足で、せっかくの時間がブルーになってしまいそうで。デジタルパーマをかけてもらった時、カールの重さで元々の首こりが一気にきて、更年期症状の悪化に凹んだ時間。いろんな症状が出過ぎでしょ、いっそのことカウンセリングでも通って辛さを吐き出してこようかなと思ったものの、そんなエネルギーもないんだよなとゆっくり思考が動き出しました。高校生の時、自分で買ったグローブを持ち、近くの小学校へ気分転換に練習しに行った日々。ちょうどいい壁があったので、投げてはキャッチをするということを繰り返していました。相手は壁なので、自分がおかしなところへ投げれば思うように戻っては来ず、その逆もあって、自身と向き合うには本当にいい時間でした。いろんなものを抱え、奥に押し込め、時々気分転換をして少し軽くなったような気がして。そんなことを繰り返し、大人になって、小さな夢が叶い大学図書館で司書になりました。夏休み期間に入り、交代で休みを取る中、たまたま事務室に一人でいると、男性の教授がやってきて私にひと言。「一人でお留守番?偉いね~。」そう言われ、思いっきり笑ってしまって、その話を女性の上司にすると大爆笑してくれました。「なんだか私、すごいちいちゃい子に思われたみたいです。」そう話すと、お腹を抱えて笑ってくれて。そんな瞬間が私のキラキラでした。37歳になり、初めて母と距離を取ったことで心配になり、精神科医の元を訪れた日。可愛らしいおじいちゃん先生は、ざっと私の話を聞いた後伝えてくれました。「あなたはパンドラの箱を開けるのが怖いと言っていたけど、開けてから来てくれたね。」と。その優しい時間に救われました。ドアを出る前に、お礼を伝えると、「お大事に」ではなく「どういたしまして」と微笑んでくれて。また同じことを繰り返したらだめだよ、あなたは自分で気づくことができた、自分の人生を生きるんだよ。その時届けてもらったメッセージは、ドアを開けたその一歩は今に繋がっています。

小学校に行って壁当てをしていたのは、その当時いい感じになっていた他校の野球部男子君が、好きな子と一緒にキャッチボールしたいと言っていたから。グローブを買って自主練していました。その後、怪我に悩まされていた彼はチョコを受け取ってくれず、私の恋は終わりを告げ、それでも練習は続けることに。その後、野球雑誌を持っていた友達が、高校別の野球部の写真が掲載されていると見せてくれて。サードのレギュラーを狙っていた彼、でも被っていた帽子は無地の物で、正規のメンバーに選ばれなかったことが分かりました。それでも、野球を続けてくれていたことが嬉しかった、とっても。そして、私の気持ちを察し、隣でにこっと笑ってくれた友達の想いも忘れたらいけないな。その彼とは、まさかの大学が一緒で、学部は違ったもののたまたまキャンパス内で再会。当たり障りなく、元気にお互いが挨拶をしてその場を離れました。実は、その話には続きがあって。20代半ばになり、もう関東に来ていた頃、一通のメールが届きました。知らないアドレス、誰だろうと思い開いてみると、共通の友達から聞いたとその彼が送ってくれたものでした。高校の時、野球で故障しちゃって、そっちに専念することに精一杯でごめんな。その文面を読んで胸がいっぱいになりました。もう10年近くも前のこと、キャンパスでも会った、でもずっと気にしてくれていたんだなと。ベンチに入れなくても、ユニフォームを着て応援席から声が枯れる程毎試合叫んで応援しているんだ、そんな話を聞くのが好きでした。社会人になり、営業マンとして働いていると教えてくれて。野球のユニフォームからスーツへ。巨人ファンの彼が、また沢山のお客様と繋がっていくのを想像すると、嬉しくなりました。思いがけない連絡をありがとう。怪我をして野球に専念したいと思ったあなたの選択を応援したいと思った、だから気にしていないよ、そして今ならもっとその気持ちが分かる。野球のボール、今でも握っているだろうか。

「ママ~、おじいちゃんってお年玉をボクの銀行に入れてくれているよね。」「そうなんだよ。ぶっちゃけ冷たい人なんだけど、そういうことは愛情をかけてくれていて、確かRが0歳の時から入金してくれているよ。」一人だけきちんと記録が残っているんだよな、ある意味おいしいなと思いつつも、息子も父の1割の特濃が分かっている様子。ここ一番という時に、元気玉をぶつけに行こうと思っていたものの、そんな余力があるなら自分に使うことにして、父に対する怒りはある意味健全な怒りなのではないかと笑えてきた今。そう、自分の中にある流れを大事にしよう。