もう意味が分からない。煮詰まった時に煮詰め過ぎたら余計に滅入る可能性があるのですが、気にしない。そういう時は、徹底的に煮詰まってしまおうと思うことも必要?敢えて注釈はいらないと思うのですが、煮物の話ではなくて、記事の話です。たまにはひとり言も書いてみようと思いました。こんな私にいつも付き合ってくれてありがとう。
息子がカレーの玉ねぎとにんじんを全く食べないので、玉ねぎの4分の1をみじん切りにして煮込んだら全く気付かず完食をしてくれました。6歳児、まだまだ甘いな。にんじんは面倒だったので次回の作戦に回すことにして。これは、本当に煮込んだ時の話。
今日は、私の気まぐれで当日連絡にも関わらず、仲良しのKちゃんがランチを一緒にしてくれました。前回偶然会った時、帰りに雑貨屋さんに付き合ってくれて、その時に不思議なものを感じていて。マブダチK君の話を借りれば、もし前世のようなものがあるとしたら、Kちゃんとは姉妹だったかもしれないなという錯覚。短時間一緒に買い物をしただけなのに、私は彼女とずっとこんなことがしたかったのだと、何とも言えない懐かしさのような感情がそこにはありました。1時間じゃ全然話し足りないと感じた帰り際、話すことは本当に無限にある。こうやって一緒に年を重ねていけることに胸がいっぱいです。カフェも綺麗な景色も共に過ごそう。あの時はああだったよね、こうだったよね、私達ここまで来たんだね、これでも結構いいお母さんになれたよねって、桜の見えるカフェで笑い合おう。
そんな友達が通っていた大学の最寄り駅を、父も通勤で利用することになりそうです。こっちに来た後にでも、もう一度父と肩を並べて飲みたいところ。それでもいざ二人になったら、なんだか色々な思いが交錯して、家族の話を避け、結局野球や地理の話でもしているのかも。いざとなったら、スープの冷めない距離にお母さんとまた別居でもいいから。父に逃げ道を作っておくのも娘の仕事なのかとまだ思っているところがあって。実際にはしないだろう、それでもそういったことも容認していることに気づいたら、父の心はいくらか軽くなるはず。
姉の結婚式前に一悶着あったように、私の結婚式前にも情けなるようなことが多々ありました。心筋梗塞になって入院した父。沢山迷った末に介護に行った母。退院の日、父の一人暮らしの家に置いてきてしまったと泣きながら母から電話があり、私に連絡をくれたということはお父さんが回復するまで見届けたいんだよねと説得し、連れ戻った途端、父がキッチンで嘔吐。『S、やっぱり連れて帰ってきて良かった。』とメールをくれて安堵。その後、復活したと思ったら、また都合よく母を使うようになった父。そんなだからお母さんの心のバランスが崩れるんだよと怒りのメールを父に送ってもスルーされ、母から怒りの連絡は連日のよう。なんなんだろう、そんなことを思いながら迎えた結婚式当日。まだ手術の痛みが残る体で、横浜の教会まで来てくれた父。そして、その日だけでも頑張ろうとしてくれた母を見て、何かを許したくなりました。この人達は私の親なんだと。
親族だけの結婚式。長いバージンロードを一緒に歩いた時、腕を組んだ父の温度が伝わり、この温もりを一生忘れないでいようと思いました。もっとバージンロードが長かったら良かったのに。以前カメラマンの友達が伝えてくれました。お父様から新郎様に新婦様の手が渡される瞬間が堪らないのだと。何度経験してもその時はいつも泣きそうになる、そう話してくれました。私も幸せな一瞬。父が実家を出る前に、栄で飲んだ日の話が実現した日。お父さん、ゆっくり歩いてね、誰もいないリハーサルで、二人で煮詰めた最後の会話。バージンロードは絹の道。これからもずっと。