関係を大切にする

今日、通院している耳鼻科に行った後、お迎えまで二時間ぐらいしかないという状況の中で、最近自宅にいても煮詰まることが多かったので、思い切ってホームグラウンドのスタバに来ました。
この選択が吉と出るか。いざ目の前にパソコンがあっても、自分の中で納得がいかない時は、途中でDeleteキーを押してしまうこともあり、そんな時は少し凹みながら帰ることも。気負った時点でアウトだということは、本当によく分かったので、書かなければならない(must)ではなく、書きたい(want)と思った時の気持ちを逃さないように。

そんなことを考えながらスタバに到着すると、いつも私が座っている席に、気になっているヘッドホンの常連の男性が座っていて驚きました。その人その人の定位置みたいなものがなんとなくあって、いつもとは全然違う所にいると、あれって思う時があります。「今日はここの気分なんですか?」と聞くこともできず、さりげなく隣の席に。私の斜め前に座っているので、どうにも落ち着かないのですが、話すきっかけもなく、この時間を楽しもうと企んでいます。
なんかね、せっかくの空気感を壊したくなくて。私の想像力を掻き立ててくれているのに、なんでもないことでおかしなことになったら、残念で。もう少しぼんやりと、顔見知りのシチュエーションを楽しむのも悪くない。

この間、久しぶりに主治医の所へ行ってきました。私の体全体の体温を測った後、「人間は恒温動物なのに、どうして気温低下についていけず、こんなにも冷えているの??」先生、私のことを変温動物だって言いたいの?!とにかく内側から温めるように言われ、どさくさに紛れて先生はどこから来ているのか聞いてみました。すると、結構あっさり答えてくれて、その場所は私と同じ路線でした。そう、憧れの沿線に先生も住んでいたという感激の事実。なんだ、先生のおうち、電車一本で行けるんだというくだらない話を、こっそり診察中に楽しんでみる。いつか、現役を引退したら、カフェにでも付き合ってもらい、主治医の医療について詳しく聞きたいのですが、そんな話を病院内でしたら、それこそ関係が壊れそうで、いつも諦めています。だから、患者さんが後ろに待っていても、先生とのやりとりを絶対見逃さないように、その時間が帰りの電車の中でも再生できるように、心がフル稼働。

主治医が総合病院を退職する前、そこでの私の最後の診察だった日、出口を開ける前にひと言伝えました。「先生、今までお疲れさまでした。」そう言いながら頭を下げると、先生がとても驚き、今までで一番温かい笑顔で、「ありがとう。別の場所で待っているよ。」と。
よく分からないのですが、主治医の医療は医療を越えているなと思いました。心からの感謝を伝えたくなる。そして、労いの言葉も。頭で考えるよりも先に、自然と発した自分の言葉に、先生は相変わらずの優しい器で受け止めてくれました。この関係が、とても大切。これからもずっと。

隣の常連さん、何かテーブルの物でも落としてくれたら拾うのに。私がわざと落とせばいいのか。そういうのは何か違うよね。本当にご縁がある方とは、何か自然にふとしたことがある。そうやって、出会って別れてきたし、今でもメールや年賀状で繋がっていられている。
細い線のようで、本当はもっと大切にしたほうがいいんだろうな。沢山の人達との関わり。こちらが思っているよりも、相手は大事にしてくれているのかも。
年賀状、ちゃんと出さないと。