春休みの中盤、婦人科系の違和感が一気に襲い、慌てて予約を入れて執刀医の先生が開業した病院へ行ってきました。状況を説明すると、すぐに内診があり検査もしてくれて。先生としてはなんとなく予想できる内容だったのか、治療後にいつもの穏やかな時間が待っていました。「症状が落ち着いたら検査結果を聞きに来るのは、2週間後でもいいよ。睡眠導入剤はいる?」「お願いします!」「きっといるって言うと思っていたけど、一応聞いてみた!ははっ。」そう言われ、一緒に笑ってしまって。その導入剤は、手術の前夜に出してもらったもので、小さなお助けになっていることを知っている先生は、会話を楽しんでくれているのが分かりました。もう4年経ったんだよ、術後に10年上手に付き合っていこうと言った、波はあると思うけどここまで来たよ、執刀医のいろんな気持ちを感じ、胸がいっぱいになりました。子供の頃に医師に助けられ、だからドクターを志した先生。その心の深さを思い知る。
そして、いつも応援しているラグビーリーグワン、リコーブラックラムズ東京戦がやってきました。外は気持ちのいい快晴、朝からドジャース戦を観て、ユニフォームを着て息子と出発。その日は、父の誕生日でした。関東に来てから働いた場所で、会社都合での退職に少し肩を落としていると以前姉から聞いていたので、精一杯の言葉を伝えることに。『お誕生日おめでとう。お仕事の退職理由については、姉から聞いていたよ。お父さんがスーツを着て、銀行で戦ってきた姿をずっと見てきたよ。50歳で銀行から離れる時、お母さんから退職のカタログギフトを選んでいいと言われたから、HOYAの花瓶にしたの。お父さんの銀行員生活を忘れないでいたいと思ったから。Rとの今の家に、飾ってあるよ。出向し、関連会社で働き、定年まで全うし、また東京でも5年間お疲れ様でした。お母さんを置いて先に逝かないというのが、お父さんの最後の仕事だよ。大事なミッションが残っているから、まだまだ元気でいてね。』すると、電車の中で返信が。『ありがとう』その言葉を見て、泣きそうになりました。大波乱だった実家での暮らし、お金のことでも揉めに揉め、なんだかもう自分の感情をわざと置いていかないと先へは進めない気がして、毎日必死でした。父が家を出た数年後、私も後ろ髪を引かれる思いで家を出て、長い長いトンネルを抜けると、母から一本の電話が入りました。「お父さんと少しずつだけど連絡を取り合っていて、50歳で銀行を退職になるみたいなんだけど、関連会社での勤務も決まったんだって。でね、退職祝いのカタログギフトを渡してくれたから、せっかくだしSがほしいものを選ぼうと思って。」その言葉を聞き、時の流れってすごいなと思いました。父は母に対し、どこかで感謝があった、そして母は娘のことを思えるゆとりが少しできた、それは二人が頑張った証でもあるのだと。だったらHOYAの花瓶にする!と選んだ私に母は驚き、父に笑って伝えたのだそう。「Sってそこまで物欲ないからてっきり消耗品にするかと思ったら、大きな花瓶を選んだのよ。珍しいわねってお父さんに話したら、笑ってた。」こんな日が来るなんてね、トンネルを抜けた先は、あまりにも穏やかな湖だった。その美しさを知っている。一人暮らしの部屋に、笑ってしまうぐらい存在感があり、前のマンションでも飾られた。ハイハイしてぶつかりそうな息子がいて、そしてその息子と家を出た。二人暮らしになって、震度4の地震が去年の夏にあり、それでも割れなかったことに安堵。父の歴史のそして家族の歴史の象徴のようで、その気持ちを伝えておきたいと思いました。父にとって有終の美という仕事の終り方ではなかったのかもしれない、でも知ってるよ、靴底減らして歩いていた後姿も。そして、最後に大仕事が待っているのだと。もう十分過ぎるぐらい、伝わっている。
ブラックラムズ対コベルコ神戸スティーラーズの試合は、接戦。トライが決まる度、息子と叫び、その熱と歓声に胸が熱くなりました。その時、緑の芝生を見て気づいたことがあって。私は元夫と同じ景色を見られていた時もあった、その期間はもしかしたら短かったのかもしれない、それでも十分だって思いました。隣の芝生よりも、自分の芝生を見てきた。なんだかとんでもなく荒れてしまいそうな時があって、それでも枯らさないでいたいって意地になる時もあって。ピッチに立ち、流血しながらも立ち向かっていく選手達を見て、その芝生の青さにぐっときました。自分がどうありたいのか、それによって見えてくる景色もまた変わってくるのかもしれないなと。試合は、24対27のナイスゲーム、敗戦してしまったけど、その後の拍手は変わらないあたたかさに包まれていました。グラウンドへ挨拶に来てくれる選手達、歓声と笑顔で応えるファンの方達がいて、またお越しくださいと旗を振りながら優しく見送ってくれるスタッフさん達が大勢いて、この時間が好きで、励まされているのはいつも私の方だなと。負けから学ぶことが沢山あって、私自身はグッドルーザーには程遠いのだけど、感動した一瞬一瞬を持ち帰りたいなとそう思わせてくれた優しい帰り道でした。
シェアオフィスで出会ったラガーマンのTさん。彼に出会っていなければ、ラムズファミリーの一員になることもなかった。ひとつひとつの出会いを大切にしたいと思う。選手達が苦しい時も、自分が弱ってしまった時も、どんな時も共に戦う。秩父宮にも桜が咲いていたよ、ブレイブブロッサム、日本の魂がそこにある。