その時見えたもの

いよいよ夏休み突入、宿題のスケジュールを立て、プログラマーのMさんがまた阪神戦に誘ってくれたので、朝から大忙しの一日が始まりました。その日は、新宿で主治医の通院もあったので、その時間に合わせて準備開始。まずは、ワークに取り掛かっている間に、こちらは家事を済ませ、一緒に早めのランチをしながら大谷選手が先発登板のエンジェルスの試合を観戦しました。思いがけない打撃戦にヒートアップしながら、ヤクルトグッズを詰め込み準備は万端。電車の時間が迫っていたので、テレビを消し、いざ新宿へ。車内でエンジェルスの勝利が分かり、二人ともご満悦で電車を降りました。その後、Mさんと合流し、息子をお願いすることに。ほっと一息ついて病院まで行くと、土曜日に私が診察に行くことが珍しかったからか、ちょっと意外そうな表情で先生が温かく迎えてくれました。そして、次回の予約を取る際、こちらの都合のいい日程を伝えると、パソコンの前にいた看護士さんがひと言。「先生、その日はクローズです。」ん?病院休み?!と思っていると、先生が「ああ!」と珍しく驚くので何事かと思い、続きを待っていると伝えてくれました。「ごめんね~。その日は夏休みをもらっちゃってた!三日間お休みなんだよ~。」「全然気にしないでくださいね!先生たまにはゆっくりしてください。」そう話すと、何とも言えない穏和な表情で微笑んでくれました。週七日で患者さんの為にと働く先生が、三日間の休みをもらうなんて、長年通院していて初めて聞き、本当に嬉しくて。なぜか海パンを履いて海に飛び込む先生を想像したら吹き出しそうになってしまい、相変わらずの和やかな時間が流れました。いつものように優しさが胸に広がりお別れ。そして、息子とMさんの待つゲームセンターへゆっくり向かいました。新宿南口の見慣れた風景、20代の自分へ、なかなかいい人生を送れているから安心して前に進め。そう思える今に感謝し、ジャラジャラと音がするゲーセンに入ると、二人がフィーバーしていて大笑い。この日をきっと忘れないだろう。

その後、ファーストフードをテイクアウトし、神宮に向かいました。その日は後半戦初日、大勢の人達の熱気がものすごく、いつものように球場内のグッズ売り場へ。すると、つば九郎とドアラのコラボのボールペンを見つけてしまい、歓喜!中日ファンとして育ち、息子が熱狂的なヤクルトファンになり、これは若干複雑だなと嬉しい悲鳴を上げていた中で、つば九郎とドアラが仲良くしているのが私の励みでもあり、同じ袋に並んで二匹のボールペンがあり、本気で嬉しくなりました。「ねえ、お母さんこれがいい。今日はこの商品にしない?そうしたらRとお揃いだよ。」と丸め込み作戦に出ると、快諾してくれて心の中で万歳三唱。それから、喜んでグッズを買い、バックネット裏の二階席へ。青空が広がり、上から見下ろす神宮球場の気持ちのいい景色に胸がいっぱいでした。すると、スワローズクルーデイだったその日は、息子と同じ色のユニフォームの選手達が次々に入ってきて、彼の心が膨らんでいくのが分かりました。一員だと伝えた意味を噛み締めてくれているんだろうなと。大きな日になったね。そして、プレイボール。私の気のせいでなければ周りはみんな阪神ファンの方達で、Mさんももちろん黄色一色で、やや圧倒されていたものの、ヤクルトが先制し、また神宮に綺麗な傘の花が咲きました。虹がかかったようなキラキラ、息子が大好きな時間であることを知っていました。生涯ヤクルトファンである彼は、この先何試合この球場に足を踏み入れるだろうと思うと、それはもう感慨深くて。すると、右隣りの空いていた席に、若い兄ちゃん二人がビールを持って座り、私が下に置いていたペットボトルが邪魔だと思い軽く謝ると伝えてくれました。「いやあ、僕の方が座る時に軽く蹴っちゃったかもしれなくてすみません。」と。小さなやりとり、でもそこにある野球ファン同士の気遣いは昔のままで、なんだかほっこりしました。その後、3対0で迎えた村上選手の打席で、17号のホームランを打ってくれた時は、息子と大喜び。今年も神宮で見られた~!と大満足の様子でした。それから、5回裏が終了し花火の時間が。その時は、敵味方関係なく夏の夜空に花が咲くそのなんとも美しい時間を、みんなで共有。野球と花火と応援団の方達が奏でてくれる音楽、なんて贅沢なひとときなのだろう。そんな時、数年前に読んだ『ルーズヴェルト・ゲーム』(池井戸潤著、講談社)の社会人野球のチームを思い出しました。フィクションなのだけど、私の中で彼らは生き続け、今どんなチームになっているのだろうと。応援を力に大切なものを探し続けているのだろうか。そして、父と観に行ったナゴヤ球場のライトスタンド。小学生の私は、もっと選手達のことが知りたくて100円玉を握りしめ、毎年選手名鑑を売店まで買いに行きました。席に戻り、父の隣で開き、「○○選手、年俸が600万円だって!これっていきなりもらえるの?!」とわーわー騒いでいる娘の隣で笑っている父。その左後ろで、酔っぱらったおじさんに、「ねえちゃん、そんなこときにしとったらあか~ん!応援だ応援!!」と笑いながら言われると、そこにいたみんながそのやりとりを笑ってくれました。それがもう本当にあたたかくて。ふと現実に戻ると、Mさんは六甲おろしを気持ち良さそうに歌い、息子はバチを持って必死に応援し、隣にいた兄ちゃん二人は会話からヤクルトファンだと分かりそっと安堵し、今感じる全てのことをまた持って年を重ねたいと思いました。そして最終回、最後まで分からない試合展開の後、ゲームセット。ヤクルトの勝利で終わり、先制打を放った宮本選手、好投をした小川投手、ツーランを打った村上選手のヒーローインタビューを見た後も、ライトスタンドでは応援歌を演奏してくれているので、バックネットの二階席にいた息子は帰ろうとせず、いつまでもその余韻に浸っていました。そして、ようやく帰り始めると出口近くでヤクルトの応援歌歌詞カードを見つけ、大喜び。「ボクこれほしかったんだよ~。」と興奮する彼の表情を見て思いました。漢字も英単語も大事な勉強、でもヤクルトの応援歌を覚えることは彼にとってまた特別なものなのだと。その音が聴こえてきた時、どこかのタイミングで涙する時があるのではないか、不甲斐ない自分を目の当たりにした時、息子を救ってくれる日が来るのではないかと思いました。そこに集まる力を心の中に取り込んで大人になってほしい、そんな願いをもう彼は気づいているのかもしれなくて。そういったいい時間を過ごさせてくれたMさんにもありがとう。もらった気持ち、忘れません。

神宮球場を出たのは10時、自宅に着いたのは11時半過ぎ。へとへとになり、息子を寝かせ、ふと一人になると、よく今のコンディションでこれだけのことをやってこられたなと自分に驚いて。いつも突き動かしてくれる野球、夢の中で本当にいつの日かヒーローインタビューに立ったら、何を語るだろう。多分、言葉にならない。選手達の努力と苦悩とその場所でしか見ることのできない景色に、胸が詰まるだろう。その時感じた拍手が選手達の力に変わるなら、これからも送り続けたい。