山越えの連続

実家にいた小学校低学年の夏、祖父が寝ている部屋で、眠たくなったので一人でお昼寝をしていると、ガッシャーンという音が聞こえ、目が覚めてしまいました。どうやら、近くで姉が小さなボールを壁に向かって投げて遊んでいた拍子に、ボーンボーンと鳴る掛け時計に当たってしまったらしく、ガラスが割れた音だったよう。やばい!と思った姉は、まだ寝ぼけている私の枕の近くにボールを置き、逃走。すると、母がやってきて、ボールが近くにあったのものだから私の仕業だと思い込み、思いっきり頭を叩かれながら怒られてしまいました。寝起きでボケボケしていたので、反論する余地もなくすっかり犯人扱い。おやつになったら、スイカを食べる約束をしていたのですが、それも無くなってしまい、それ以来スイカ嫌いになってしまったという珍事件でした。大人になり、スイカが好きな母に一緒に食べようと勧められたので、その当時のことを改めて伝えることに。「おじいちゃんの部屋にあった掛け時計、ボールで遊んでいて割ったのはお姉ちゃんなんだよ。その後お母さんにスイカを食べる話をなしにされて、それ以来嫌いなの。」「なんでその時言わなかったの?!」「寝起きで何が起きたのかいまいち分からないまま、凄い勢いで怒られたから、何も言えなかったんだよ。」「そうか、それは悪かったわ。」と今となっては笑い話に。試食くらいは食べられるようになったのは、すっかりほろ苦さを消化した証拠?!私よりも姉がやったと分かった方が、さらにあたりは強かったと思うと、自分の判断はやっぱり正解。

夏休み、父と話す機会があり、思いがけない話を聞き出すことができました。「岐阜にあった社宅、あそこ元々は保養所だったんだよ。」え~!!「作りがちょっと変わっていると思っていたんだよ。廊下だけ無駄に広かったし。」「壁を後から作って社宅にしたんだよ。」なるほど~とまさかこの年になってそんな答え合わせができるとは思わず、懐かしくなりました。元々、父の天敵である上司は、うちの左隣に住んでいたのですが、同じ敷地に最近できた平屋の社宅に転勤で空きが出たので、そちらに引っ越すことに。「なんで一度住んだのに、わざわざ引っ越すの?」と母に聞いてみると、「やはり身分が上の方だし、綺麗な方がいいからだと思うよ。」へえ、なんだか面倒くさいなと子供ながらに思った引っ越しの裏側。そして、左隣が空き、すぐに入居したのは20代後半の素敵なご夫婦でした。その奥様が、一度ご自宅に呼んでくれたので遊びに行かせてもらうと、笑ってしまうぐらい広い部屋が一階にあり、木造だし全然部屋が温まらなくて大変だと教えてもらいました。やっと謎が解けたよ、その無駄に広いスペースは保養所の食堂だったんだね。我が家もメゾネットタイプ、3DKという間取りに、2階の廊下だけ不自然な広さがあり、壁を破るとお隣さんちの廊下と繋がっていると聞いていたことがありました。木の温もりも、歩くとぎしっと音がする廊下も、そこから見えた竹藪も、何もかもが昨日のことのよう。そこで育んだもの、大きかったんだ。

その後、家族で愛知に戻ることになり、落ち着いた頃に姉が告白をしてくれました。「私ね、中一の夏休みに転校で岐阜に行ったでしょ。もう女の子同士で仲間が出来上がっていてね、入ることもできずに、体育館で行事があった時、リーダー的存在の女子に座っていたパイプ椅子の背中を思いっきり蹴られたの。すごいショックだった。」その話を聞き、胸が痛くなり、それでも聞いてみました。「それは辛かったよね。誰?」「実は○○なんだよ。」そう言われ、はっとなりました。その人は、姉が愛知の高校入学を決めた春休みに遊びに来てくれた友達でした。「最初は、転校生だから気に入らなくて、嫌な思いをしたよ。でも、段々打ち解けて仲良くなって、卒業式に、駅のホームで皆が走ってくれた中にいたの。その姿を見た時、辛いこともあったけど、自分の中で何か越えられた気がして、いい時を過ごせていたんだなって思えたよ。Sも、色んなことあったでしょ。なんとなく気づいていた。」「うん。最初は女子達が口を利いてくれなくて、なんだかひそひそ陰で言われているのも感じたから、開き直って図書室に行ったりしていたの。有難いことに教室のすぐ近くにあったし、いつも開放されていて、貸出も返却もセルフだったから、本と友達だった。多分私ね、そこの小学校の本、誰よりも読み尽くしたと思う。でも、段々友達が増えていってね。最終日のお別れ会では超泣けた。親に相談できる感じでもなかったし、お姉ちゃんが似たような思いをしているのは分かっていたから、私も頑張ろうって思えたよ。」そう話すと涙ぐんでくれました。お互い、大変だったけど、大きな山を自分の足で越えたね。そこで見た景色も、感動も、自信も、何もかもがこれからの自分達の中に残ってくれるのだと、そう思うと堪らない気持ちになりました。

その時にできた姉の男友達。私とも仲良くしてくれて、3.11の時、出向先で被災をしたと後から連絡をもらいました。その時の彼の動揺がずっと忘れられなくて。お互いの体を労い電話を切った数年後、写真付きでメールを送ってくれました。ウェディングドレス姿の綺麗な奥様とメイク室でさりげなく撮ったツーショット写真に泣きそうに。『なんだかSに心配かけてしまったような気がして、この写真を見たら安心してくれる気がしたよ。ようやく俺も結婚するよ!』愛知にいるはずの彼が、出向先で被災した日、屈んだデスクの足が折れ、自分の判断で外に飛び出し間一髪、スーツも灰で真っ白で、何が何だか分からないような衝撃だったと話してくれた時、トラウマになっているのではないかと本気で心配になりました。そんな彼が、掴んだ柔らかい幸せ。がれきの尖った固さの反対側にある、白のタキシード姿に胸がいっぱいでした。
『いつもお兄ちゃんのように思っているよ。』『お兄ちゃんか、なんかいいな。』震災の後に交わしたやりとり。お兄ちゃん、結婚おめでとう。