食べ物が集まる

この前、息子の野球チームにお迎えに行くと、自治会の餅つき大会にも参加させてもらっていて、食べているところを話しかけ、どさくさに紛れて私もチームの一員。そんなことをしていたら、またいつものご年配のコーチが私に気づき、すっかり仲良くなっていたので、思いっきり気さくに「食べて行って。」と優しく腕を掴まれ、おばちゃん達の前まで連行されていきました。「色々あるわよ~。」とこれまたフレンドリーな女性に言われ、隣にいたコーチに、最低でも2個だよとノルマを課せられ、有難くきな粉とあんこを頂くことに。一個がでかい!こんな展開が待っているなら、走ってお腹を空かせてこれば良かったよ。遠慮はなしの雰囲気がやっぱりいいですね。

食べきれるかなと思いながらお餅を食べていたら、同じようなことを思い出しました。大学在学中、土曜日の教職課程の講義がお昼で終わったので、たまにはガツンと学食で食べようと思い、カレーライスを注文した時のこと。フットボールの形をした容器にぎゅうぎゅう詰めにご飯を入れている学食のおばちゃんの様子を見て、やや困惑。それでも、その当時は大食いだったこともあり、あっさり完食し、お腹が満たされた状態で、バイト先の日本料理店に用事があったので出向くことにしました。すると、私服を着て店内に入った私を調理長が発見し、「Sちゃん、お昼食べて行って!今すぐ作るから。」と声をかけられ大慌て。実は学食で、でかでかカレーライスを食べてきたんですと言いそびれてしまい、なんで今日は菓子パンにしなかったんだろうと本気で後悔しながら、店長に席を案内されました。賄いのメニューではなく、御膳の豪華なお料理を見て、なんだか泣きたくなり、胸もお腹もいっぱいで、それでも噛み締めるように食べ、サツマイモの天ぷらだけ残してご馳走さまをしました。「野菜もしっかり食べないと。」と店長に言われたのですが、それだけはどうしても入らなくてと苦笑い。裏事情があることはもちろん内緒。人の気持ちが込められたお料理、嬉しいですね、とっても。

大学図書館で働いていた時は、一人暮らしの私を気遣い、お中元やお歳暮で頂く焼き菓子はいつも多めに私のデスクに置かれていました。「これ、皆の分だから。」そう伝えても、ちゃんと配って余ったものだから大丈夫と言って、誰も受け取ろうとしなくて。こういう時、幸せだなと思います。頑張ってるねとか、いつもありがとうとか、言葉にするのではなく、ちょっとした形で伝えてくれる仲間。年末最終日に、館内を閉めたカウンターで、私の手の上に落ちそうなほどヨックモックのお菓子を乗せてくれた男性の上司の笑った顔が、未だに忘れられません。

母の膝の手術の合間に、一度退院してきた時のこと。まともに歩けない状態なのは分かっていたので、息子とお手伝いに行くと、宅配便屋さんが来訪。「当分料理ができないと思って、おやきを通販で注文したの!」と嬉しそうに、私の分まで渡してくれました。
そして、別の日、母の友達が訪ねてきて、お見舞いのハムを頂き、それもシェア。「私、なんだかよく分からないけど、子供の頃から食べ物が集まってくるんだよ。」そう母に話すと、笑いながら言われてしまいました。「あなた、誰よりも生き延びるかもしれないわね。」と。

英会話の学校に通っていた時、一番仲が良かったのは、60代の男性でした。自宅菜園をやっているからとレッスンの時に何度野菜を持ってきてくれたことか。土の付いたネギを見て、レッスン中にこみ上げました。「授業前、いつも僕の英会話に付き合ってもらってるから。」そんな気持ちを届けてくれたから私も頑張れた。レッスンも一人暮らしも。
K君哲学は、やっぱり健在。