中国人の男の子ママと、幼稚園がお休みの日に遊ぶ約束をしたのですが、急に予定が入ってしまったらしく、メールを送ってくれました。
「本当にごめんなさい。その日は私だけ用事ができてしまって、おじさんとおばさんは息子を連れて行くことができるのだけど、中国語しか話せないの。」等々。
大学の第二外国語で中国語を一年間学び、文法はかじったものの、会話は無理だよねって思ったら、なんだか笑えてきて。挑戦の意味では行っても良かったのかも!
とりあえず、冬休みにまた遊ぶ約束をさせてもらいました。
そういえば、大学図書館勤務の時、中国からの留学生の女の子とうまく会話ができなくて、メモ用紙で漢字を並べてみたら通じたことを思い出しました。
『返日二週間迄』みたいな感じだったかな。適当に書いたら通じてくれて、カウンターでにっこり笑ってくれたことが嬉しかったのを覚えています。なんとかなるものだ。
そして、インド人の女の子ママは、日本語の勉強をしていて、試験も受けている努力家です。幼稚園から配布されるものなら、なんとか読めると聞いて驚きました。
日本の冬はとっても寒いと言っていたので、湯たんぽの説明をしたら、自宅に帰ってからネットで調べてくれたらしく、メールを送ってくれて。英語の合間に日本語があり、『湯婆婆いいね!』と書いてあって大爆笑。
湯たんぽと書いたつもりが、どう変換を間違えたのか湯婆婆になってしまったんだろうな。
足元に湯婆婆がいたら、余計に寝れんがな!とインド人の友達に突っ込むのは止めておきます。
その友達に、日本語の文法や長文のチェックをしてもらえないかと頼まれて、近々メールが送られてくる予定。私の日本語も大丈夫かなあ。
以前、女友達の恋人に、関西弁を話すアメリカ人の方がいました。なんで関西弁なのかを聞いてみると、日本に留学したのが兵庫県で、そこで話す言葉が標準語だと思っていたらしい。
私がおかしな話をした時は、「Sさん、おもろいな~。」と、がたいの良い白人男性に言われて、そっちの方が笑えると、不思議な感覚になったことを覚えています。
その関西通なアメリカ人の方が、私にプレゼントしてくれたのは、『流星ワゴン』(重松清著、講談社文庫)という本でした。日本語が読めるし話せるだけでなく、読んでみるとその話はとても奥が深かった。ものすごく人のもろい部分を、見事に描いていた素晴らしい一冊でした。
もう一度人生をやり直せるのなら、やり直せなくてもどう生きるのか、それを一人の男性がもがきながら進もうとする姿に心を打たれました。
日本人よりも、日本的な心を持っている人なのかもしれない、海外の方と話すと時々感じる時があります。日本の良さを、違う言語や、一生懸命伝えてくれる日本語で話してくれると、はっと嬉しくなることがたくさん。
そこには「繊細」という言葉が、いつもあります。