理由を探し続けてみた

年明け、両親宅に行き、母の話を色々と聞いた後、安堵した彼女が伝えてきました。「あなたがお留守番しているなら、夕飯の買い物の時にスイーツも買ってくるわよ。確か、ハーゲンダッツのサンドが好きだったわよね?」そう言われ、こみ上げそうになりました。それは、卵巣を摘出した5年前、無事に手術を終え自宅に戻ったものの、気持ちの悪さが常にあったので、それだけは食べられると唯一お願いをしたスイーツでした。まだその時のことを覚えてくれていたんだな。そして、9年程前に母と距離を取り、本気で自分と向き合ってみようとカウンセリングに行った時のことが思い出されました。いい意味で、淡々と話す若い男の臨床心理士の先生が伝えてくれて。「これまでいろんなご苦労があったことは分かりました。でも、さすがの○○さんも本当にお母さんのことが嫌だったら、もっと早くに離れていたんではないですか?そこに理由があったのではないかと。」そう言われ、一瞬目を潤ませた私を先生は見逃しませんでした。「母は、愛を知っている人です。訳が分からなくなると、それこそもうすごい暴言が飛んでくるのですが、根っこには忘れてはいけないものを大切に持っているのではないかと思います。そんな母をきっと私は守り過ぎてしまった、だから苦しかったのかもしれませんね。」いろんな気持ちが混在する中、それでも見えているものがあった。だから先生は、最後の答えは自分で見つけてくださいと言ってくれたんだろうな。今、私は何合目にいるのだろうか。自分の問題だから自分の足で歩くよ。

さすがにボロボロの自転車を新年になったら買い替えようと思い、ようやく時間ができたので自転車屋さんへ行ってきました。小学校6年間を共にした茶色のチャリから、水色のチャリへ。コストを抑え、ギアなしにしたので、またゆっくり慣らしながら息子の中学校生活を楽しもうと思います。そんな気持ちのいいサイクリングの帰り道、ふと随分前の出来事がふわっと音と共に映像で流れました。それは、私が関東に住み始め、祖父が入院先の病院から電話をかけてくれた時のこと。着信を見ると、公衆電話と書いてあったのですぐに誰だか分かりボタンを押すことに。「もしもし。」「ああ、Sちゃん。おじいちゃんだよ!」祖父は私と会話をする時、自分のことをおじいちゃんと呼ぶことが多い。そういう時の声はいつも穏やかでした。「うん。おじいちゃん、体の具合はどう?」「廊下まで歩いて電話口まで来られるようになった。おじいちゃんな、Sちゃんに電話する為に、自販機で飲み物買う時、わざと10円玉のおつりが出るようにしてるんだ。」そんな会話の途中、10円玉が落ちる音がして。チャリン、大事な時間がカウントされていく。「そうなんだ!また自宅できゅうりが作れるようになったらいいね。おじいちゃんのきゅうり、楽しみにしているよ。」そう伝えると、嬉しそうな声が聞こえ、ツーツーと途中で切れてしまうことも。それでも、短時間でも会話ができ、お互いがほっとしました。帰省した時は、病院からリハビリ施設に移っていたことも。脳梗塞で何度も手術をし、元気を無くした時もあったのだけど、スタッフさん達が優しく、私も励まされました。「○○さん、お孫さんが来てくれて良かったですね~。トイレに自分で行けるようになれるよう頑張りましょう。僕達もサポートしますから!」おじいちゃん、ファーストネームで呼ばれているんだとその何とも言えないあたたかさに胸がいっぱいでした。その後、祖父はゆっくり回復、また家庭菜園ができるようになり、職場の夏休みに帰省すると伝えてきました。「Sちゃん、あのな、きゅうり泥棒に遭ったんだよ!深夜に盗まれてた!」「は?どういうこと?!」「うちの車庫で作っていたきゅうり、Sちゃんに持たせようと思っていいのを取っておいたら、盗られていた。」何すんねん!!怒りがフツフツとこみ上げてくる。「おじいちゃんがリハビリも兼ねて大事に育てていたきゅうりなんだよ!なんてことするの!!」それはただのきゅうりじゃない、自分のことは自分でできるようにと沢山のケアをしてくれたスタッフさん達の想いも込められている。腹が立っていると、まあいいと言いながら笑ってくれて。「残っているのはちんちくりんのきゅうりだけだ。防犯カメラでも付けるか?」「高いしそこまでしなくていいわよ。」と母は言った。でも、おじいちゃんの気持ち分かるよと作戦を練ることに。「深夜に懐中電灯を持って何度も監視に行くか?」「それはそれでおじいちゃんが怪しまれるよ。」とわいわい。「ちんちくりんのきゅうり、食べるよ。せっかく作ってくれたから。」そう話すと一緒に笑ってくれました。
それから数年後、ひ孫に会い、最後の夢を叶えた祖父は他界。息子を抱き、実家に帰ると、祖父の寝室で、いつもの寝顔で横たわっていました。涙が溢れ、言葉にならなくて。隣の部屋は座敷で襖は外され、仏壇の前で沢山語り合った数々の時間が思い出されました。どこもかしこも思い出でいっぱいだ。親戚の方達はみんな分かっていたよう。「おじいちゃんね、Sちゃんのひ孫に会えて、もうやり残したことなかったんだろうね。」人の生はなんて深いのだろう。

それから、気持ちの整理をするまでにゆっくり時間をかけ、お盆に再度帰省した際、家族会議で伝えました。「おじいちゃん、自宅の電話器のそばにお母さんが書いておいてあった私の携帯番号を暗記して、入院中も小銭を握りしめて公衆電話から何度もかけてきていたの。脳梗塞の手術の後、意識がもうろうとして一時期記憶が曖昧な時もあったんだけど、再度私の電話番号を聞いてみたら、覚えていた。本当に忘れたくない記憶って、人は覚えているのかもしれないね。自宅からも、お母さんに携帯にかけていると電話代がかかると怒られるからと目を盗んでかけてくれていたよ。お父さんのこともお母さんのことも、おじいちゃんなりに心配していた。だから伝えたの。一緒に住むだけが家族じゃないって。本当に困った時は助け合う、心が繋がっていること、それが一番大事なんじゃないかって。そうだなって短気だったおじいちゃんが深く理解してくれて、いろんな気持ちになったよ。あとは、夫婦二人で考えてね。おじいちゃんの想いを無駄にはしないで。」1時間だったか、2時間だったか、これまで祖父と二人で交わした会話の内容を伝えた大きな家族会議でした。後日、驚き、ネネちゃんなりに整理した中で、伝えてくれて。「おじいちゃんにとってSちんにかけた電話はホットラインだったね。離れていても家族だとSちんが体現してくれたおじいちゃんは嬉しかったと思うよ。おじいちゃん、いい人生だったんじゃないかな。」こんな風にフィードバックしてくれる人がいる、巡り巡っていて、ひとつひとつかけがえがなくて。自分がいまここにいる意味を考え続けることにしよう、その先に答えはきっとあるはず。