最近ぐっと冷えたせいか、スケボーパパ親子になかなか会えなかったのですが、久しぶりにいい感じで私の視界に入ってくれたので、このチャンスを逃すものかと歩道で止まってもらいました。挨拶をし、どんどん歩き出してしまった年少ちゃんを心配したら、「Maybe, she is OK.(多分彼女は大丈夫)」という相変わらず楽観的な返事があり、本当にすぐ戻ってきて、今日はキックボード通園だったことが判明。
そして、あなたが住んでいたオハイオについて、文化やスポーツや食べ物など知りたいと伝えると、笑いながら考え込んでくれました。文化を伝えるのは難しいよね。すると、すっかり省かれ、食事は典型的なアメリカンフードで、野球はシンシナティ・レッズが有名なのだけど、僕はあまり見ないんだと言われてしまったのですが、それでも聞きたくて聞いてみました。
「How do you think about Ichiro?(イチロー選手についてどう思う?)」「彼は、素晴らしい選手だと思う。でも、本当に僕はスケボー一筋なんだよ。」
どうやら私の野球に対する気持ちと、彼のスケボーに対する気持ちは同じのよう。これさえあれば幸せなんだよ、そう伝えてくれたんだよね。どうしよう、もう質問することがなくなってしまったよ。スケボーパパと勝手につけたニックネームは、ストライクだったよう。
与田さんがなぜ引退をしてから、NHK野球解説者になったのか、そのことをどうしても掘り下げてみたくなり少し調べてみました。星野監督が関わっていたというような報道があり、そうかもしれないなとその当時ぼんやり思っていました。そして、改めて歴代のサンデースポーツのキャスターを見てみたら、なんと初代は星野監督であったことが判明。本当に震えました。星野監督がそこで築いた経験や人脈や信頼というものを、惜しみなく与田さんに届けたのかもしれない。いつも怒ってばかりいる印象を持たれていた星野監督が、どれだけ情に深い人だったのか、本当によく分かった気がしました。
楽天の監督から副会長になった星野監督は、与田さんを投手コーチに呼び、その時の会見をこの間たまたま動画で見つけました。“この人なら”と感じた星野監督。“この人の為に”と感じた与田さん。監督と選手ではなく、副会長と投手コーチとして。野球解説者という経験を挟んでまた同じチームで戦う姿に、強い師弟愛を感じました。
私の父は、本当にどうしようもない親でした。そんな父と、子供の頃、テレビで一緒に中日戦を見ていた時、選手に本気で怒鳴っている星野監督を見て、それでも必死についていく選手を見て、私の中で理想の父親像が出来上がっていました。亡くなる前、ビートたけしさんと対談をされていた中で語られたのは、「僕は母子家庭だったから、沢山嫌な思いをしてきたんだけど、母が本当に強い人で、立派に育ててくれたことに感謝しています。」という話。
そういった事情を知り、とても驚きました。父親がいない家庭で育った星野監督の深い情は、お母さんからの愛情だったのだと。
私の理想の父親像は、多分これからも星野監督。その人から受け継いだ愛を、与田さんが監督としてどう伝えてくれるのか、嬉しくて楽しみで仕方がありません。
野球と親子愛が繋がるとは。まともに会話をしない父が見せてくれた野球中継は、私の幅を広げてくれました。
興味があるものは一つでいい。息子に継承したよ。