捉え方次第

毎晩、寝る前の一時間は私ときっちり遊ぶことを日課にしてしまっている我が家のわんぱく7歳児。昼間から夜は何をして遊ぼうかとスケジュールを立てているよう。そして、お風呂から出てくるとホワイトボードに何やら書かれていました。『きょうは、どうぶつをさわったり、うまにのったり、えさをあげたり、うししぼりはやっちゃだめです。見るだけです。』うししぼりって何だ?ちちしぼりじゃないか?とツッコミたくなるような内容を読み、よく見てみると、くみちゃん達が、息子が作ったと思われる動物園の前で開園するのを待っていました。動物のぬいぐるみが、アニアのフィギュアを見物するってどういう設定よ。本気で意味が分からない。そう思いながらも、無事入場。貼られた目印から出てはいけなかったものの、久しぶりに動物園を楽しめて満足したよう。息子の願望がそのまま反映された遊びに付き合い、早く本物の動物園に連れて行ってあげようと思いました。行きたい、行きたい!と騒がれるよりも、私の心は動いたよう。息子の作戦勝ち。

そして、なぜだか父と以前交わした会話を思い出しました。地元愛知に残っても、関東に来ても、銀行の関連会社で働いていた時に築いた繋がりで、関係する仕事の話があったはず。それではなぜ父は、親戚が起業する会社に就職を決めたのか。それはもしかしたら、母が膝の手術をして入院していた時、私が半分父に怒って電話をしたことが原因だったのではないかと今さら気になりだしてしまいました。私がお見舞いに行くと、どっと寄りかかる母の姿に不安感が倍増し、早期退職をしてこっちに来られないのかと父に八つ当たりをしたことがありました。それでも、心の底では父が納得する形で仕事を終えてほしいと思っていて。揺れ動く自分の気持ちを半分投げやりになりながら伝えた電話。その時も父は冷静でした。「1年契約だから64歳で辞めようと思ったら辞められる。でも、人がいないんだ。」なかなか痛い所をついてくるなと思ったし、それが父らしいとも。娘が大変なら選択肢はある、でもお世話になった会社の為にも最後まで頑張りたいんだ、その想いが伝わってきました。そして、その時、フルタイムで働き、休みづらい仕事にはもう就かない方がいいかもしれないと思わせてしまったのではないかと。親戚の会社なら、また何かあった時に言いやすい、そしてフレックスで週に4日ほど。安心材料があれば、娘も楽になるのではないか。
マブダチKくんが、この球を投げて次どう返してくれるのかを分かっているように、父に投げた球をどう返してくれるのか、聞かなくても分かる。それだけ心を通わせてきたという自信もありました。「Sの為じゃない。気楽に働きたいんだよ。だから気にするな。」父はそういう人。本心が別の所にあっても、それを隠すのではなく、本当にそうなのだと気持ちを持って行ってくれる人。

姉の結婚式で、足の悪い祖父にできるだけ負担をかけないようにするにはどうしたらいいだろうと思い、Kくんに話すと快くドライバーを引き受けてくれました。別居中の父とは現地集合。母と祖父と私が乗り込んだ微妙な空気を察知し、明るく振舞ってくれた友達。会場で、父と祖父が会っても目を合わすことなく、同じテーブルで冷や汗をかきました。今日だけは、今日という日は特別なんだよ、だからお互い大人になって。そう願った披露宴。そして、司会進行の方になぜか、最後に妹さんからひと言頂けますかとマイクを向けられ、姉も私も大慌て。色々な気持ちが一気に溢れ、泣きながらこれまでのこと、そして誰よりも嬉しいのだと、だってたった一人の姉だからと伝えると、そこにいた皆が大泣き。結婚式が終わり、姉が私を見つけるとウェディングドレスのまま言ってきました。「花嫁の私が手紙を読むよりも前に、皆を泣かせてどうするのよ!でもありがとう。Sがいてくれたから家族みんなが揃った。本当にやってくれるわ。」半分怒りながら笑いながら、そして何より姉らしくいてくれて、一緒に笑ってしまいました。

結婚式の二次会に来てくれたKくん。「送ってくれて本当にありがとう。」「お前の家族は、ずっと見てきたんだ。こんな晴れやかな日ぐらい協力させてくれよ。S、良かったな。家族みんなで結婚式に出るのがお前の願いだっただろ。」「実際はかなり気まずい雰囲気で寿命が縮まった!」「でも、お前の表情、幸せそうだぞ。それが見られて良かった。姉貴もお前も頑張ったんだよ。それを見届けられて俺も幸せをもらった。」
自分のことより人のこと、それが結果的に自分に返ってくる。それをいつもアイツにしかできないやり方で伝えてくれていました。「お父さん、Sの気持ちもっと考えろよって思うこと、山のようにあるけど、どこかで気づいている気もするんだよ。気長に待ってみろ。そのうち返ってくるぞ。」それが、“今”なのか?仏頂面で出てくれた姉の結婚式。そんな家族模様を見守ってくれていたマブダチ。二人の男性が、私の中で交わった。父が選んだ道を、素直な気持ちで応援することにする。