笑った方がいい

分かってはいたものの、息子の冬休みで引いてしまった風邪。今年こそは元気でいようと気負っていると大体こうなります。夫も出勤し、息子だけがまだ冬休みの状態だったある日、30分だけこたつで寝かして~とお願いをすると、あっさり容認して遊んでくれていました。と思っていたのも束の間、「隣の町でパンツ破れて大騒ぎ。」と耳元でささやかれ、必死で笑いを堪えていたのですが、耐えきれずに吹き出してしまいました。休めんがな!というか、どんな騒ぎやねん!誰が破れたんや?!と思いながらも、知らん顔。そのまま寝ていたらリピートされてしまい、肩を震わせていたら「ママ、笑っちゃだめだよ~。」と言われ、無理に決まってるでしょ!と起き上がったら熱も上がってしまいました。それでも、確実に免疫力は上がったよう。その後は、気持ちの悪さと戦いながらも遊びきった自分を褒めてあげたい。彼の作戦は成功だったのか?!

そんな慌ただしい年明け、母宅へ行くと相変わらずの物の多さに激怒。父も夫も息子もいたので、ここはいくらでもフォローが入ると思い、お父さんと住むならもう少し考えた方がいいと正論をぶつけました。「本当に心が満たされていたら、物に囲まれていなくても幸せなはずだよ。」と。それを聞いた父が、「断捨離してからこっちに来ます。」と、なんだか母の代わりに謝ってくれたようで笑えてきました。正月早々、怒らなくてもいいじゃないと思っている母、親を想うからこそ怒っている娘の気持ちを察した父、明暗くっきり。相手の気持ちを自分目線で感じるか、一歩冷静に見た時にどう捉えるのか。その違いを改めて感じた相変わらずの両親。父が後者でいてくれるようになったことだけでも有難く思わなくては。何度でも言っておく、“もう笑って暮らそうよ。”

お正月になると、父は夫にビールを勧め、その時必ず言うのは、「いつも発泡酒しか飲ませてもらっていないだろうから。」「たまにビールです!!」と反論するのが私の決め台詞。ビールぐらい心置きなく飲ませてあげようよというのが父の持論で、別に我慢をさせている訳ではないという水面下のバトルが毎年繰り広げられていました。その度に思うのが、私と夫が本気の喧嘩をして父がもし仲裁に入った場合、夫の味方をするだろうなということ。男の人ってこういうものなんだよといかにも父らしい見解が待っているだろうと思うと、不思議と嬉しくなります。娘が可愛いという感情よりも、公平に判断したい、男性の考え方を知ってもらういい機会だくらいに思う人。父からあと何年、その視点を学べるだろうか。

数年前、年が明けてずいぶん経った頃、姉から一本の電話がありました。「最近R君の通帳記入した?」「え?忙しくて全然していないよ。」「そうだよね。私も久しぶりにしてみたら、お父さんからお年玉が1万円も入っていたんだよ。お父さんってさ、なんだか足長おじさんみたいなところがあるじゃない。なんにもしてやっていないと思ってくれている気がしてね。ちょっとぐっときたよ。」そう言われ、ベビーカーで慌てて銀行へ行ってみると、本当に入金がされていて驚きました。『○○ジイ』って・・・。本名で記入しようよと笑えるし感極まるし。「お父さん、お姉ちゃんから聞いて今日気づいたよ。お年玉ありがとう。」「おお、気にするな。なんか買ってやれ。」それだけの言葉なのに、無性に泣けてきました。お前達には何もしてやれなかった。だから、せめて孫達には。言葉の裏側に秘められた気持ちが痛くて優しくて。
出産後、両親が車で名古屋からやってきた日の夜、母がお風呂に入っている合間に、父がこたつのテーブルの下にそっと忍ばせた3万円。「S、お母さんには黙っとけ。」その気持ちをどれだけの想いで受け止めたらいい?本当の優しさを、もしかしたら父からもらっていたのかもしれない。