オフを大切に

顎関節症が痛くて心配になり、もう一度歯医者さんへ行ってきました。いつものように診察台へ行き、ご挨拶。そして、歯の状態や一日の中でどのタイミングで酷くなるかを聞かれ、夕方から夜にかけてであることを伝えると、先生の意見を述べてくれて。「まだそこまで酷くなっていないので、悪化しないことが大事だと思っています。朝は比較的大丈夫で夜に辛くなるということは、日中無意識に力を入れるようなことをやっていますか?」「パソコンに向かって集中している時間があるのでそれかもです。」「そうですね。それだとしたら、ポストイットなどにメモをして画面にでも貼っておいてください。ちょっと意識するだけで緩和されるかもしれません。歯をぎゅっと噛む時間って食事以外の時はあまりし過ぎない方が良くて、それが長くなると時間外労働ですよ!」かみ合わせの時間外労働?!随分面白い表現をしてくれるなと近くにいた歯科衛生士さんと一緒に笑ってしまって。『時間外労働』という言葉、そういえば『呪術廻戦』の七海さんも使っていたな。仙台駅でキーホルダーを買い忘れたんだよな、確かずんだ餅とコラボしていたなとどんどん思考が巡ってしまい、気持ちを上げてくれた若い先生に感謝でした。そんなこんなで、白いパソコンのディスプレイの上には『Relax!!』の文字が貼ってあります。効果に期待!

最近になり、自分の思考の癖というかパターンをもう一度見直していたら、これまたどうでもいいことを思い出しました。それは、何度も話した高校時代の体育の授業でのこと。競技が選択できたので、喜んで男女混合ソフトボールを選んだものの、敵チームには左利きの野球部男子が二人いたという例の話。次の授業が体育だと分かると、すごい勢いの中更衣室で着替え、何事かと友達が半笑いしながら聞いてきたので伝えました。「左利き用のいいグローブ、男子に取られちゃうから早く行きたいの!」そう言って、猛ダッシュでグラウンドへ行くと、教室で早々と着替えた男子君達は涼しい顔で段ボールに入った比較的使いやすいグローブをすでに持って練習していました。残っていたのは、砂だらけで少し紐もほつれた、できれば右手にはめたくないようなボロボロの左利き用グローブ。今日も遅かった~とがっくりきたこともしばしば。その後、試合になり、セカンドを守っていた女の子は初心者だったのであまり打球を捕ろうとせず、左のバッターボックスに立つと、ライト前ヒットを打つことができました。というのも最初だけ。本職はキャッチャーなのに、ソフトボールではショートを守っていた左利きの男子が、私の打球は必ずライト方面へ飛んでいくと分かり、セカンドの方まで来て、ライナー性の当たりをキャッチ。毎回少し走ったところでアウトになり、膝から崩れそうになるというパターンがお決まりになっていました。自分の結果は、体育のノートに書かなければならず、仕方がないのでショートライナーと毎回のように書いていたものの、今になって気づきました。担任は体育の教員でもあり野球部顧問。“納得がいかないショートライナー”と書いておいたら、きっと笑いながらこちらの反論を聞いてくれただろうなと。「男女混合のソフトボールで野球部男子は本気出すな!という話だし、ショートのポジションからセカンドまで来て特別シフトを敷くのはやめましょうよと思うし、左利き用のいいグローブは持っていかれるは、その男子にヒット性の当たりは取られるわで散々だし、もうひとつ言わせてもらえるならば、左のバッターボックスに立てる時が一番左利きで良かったなと思える時なんです。それをあの野球部男子が~。」と笑いながら話したら、先生もひとしきり楽しんでくれただろうなと。そして、大事なことに気づいた、あの時こそセーフティバントを決めれば良かったなと。意表を突いてサード線にうまく転がして全力疾走していたら内野安打になっていたのではないか。この歳になったから分かった、自分のパターンを積極的に壊していくことも戦略なのだと。

幼少期、左利きだと分かった幼稚園の先生は、これから困らないようにと箸と鉛筆を右利きに矯正。そういう時代であり、それは先生の優しさでした。それが分かっていても、自分の中では大混乱。字も絵も上手くかけず、右利き用のはさみなどでは思うように工作ができませんでした。劣等感は募り、幼稚園にも行きたくなくなり、それでも祖母の介護で毎日病院に母はいて、自宅に残っても一人だけなのは分かっていたので、重たい気持ちのまま登園へ。その辛さを4歳上の姉にぶつけました。小学校に上がり、1年生の担任になってくれたのは若い女の先生。校内のイベントでうまくできた子の工作を展示するということでみんな提出したものの、私だけ遅くなり、自宅で作ったものをすでに終わっていた学校へもう一度届けに行きました。そこで、隣のご年配の女の先生とどれにするか相談している中、自分の作品を出すと、わざわざ持ってきてくれてありがとうと言ってくれた担任の先生。背中を向け、教室を出ると、ご年配の先生が鼻で笑ったのが聞こえてきました。その瞬間グサッとくると、それを察したのか表情が全く見えなかったものの、担任の先生が私を傷つけてしまったのではないかと心配しているのが伝わってきました。もう、廊下に出て数歩進んでいたあたり。私も担任の先生もお互いの様子が分かる位置ではなかった、それでも伝わった想い。自分が心に残したいのは、悲しい思いをした時ではなく、悲しい思いをした時に寄り添ってくれた人の想いでした。先生ありがとう。
そんな私が大人になり、ネネちゃんが伝えてくれて。「Sちんは、あまり言語化をしない。心の中にいろんな気持ちがあるのに、それを出さないから、お父さんもお母さんも余計にSを頼って重くなってしまうんだよ。もっと外に出してあげないとSちんが苦しくなっちゃうよ。」言語化しないのではなくて、するのにきっと少し時間がかかるから。それは多分利き手も関係している。そして、言葉にする前に繊細さが前に出るのか、相手がどう受け取るだろうと沢山考えるようになった。それは、家庭環境も起因しているのかもしれない。いろんな経験の中でいろんな人に会い、いろんな本に出会い、引き出しもちょっとだけ増えた。まだ漠然としていることもあるけど、少しずつ形が見えてきたよ、ネネちゃん。
左手と右手を同時に使い、言葉を紡いでいく。これが辿り着いた場所。どんな時も桜が舞うカフェ。