ずっと行きたかった場所

夫が平日休みを取ってくれた日、普段なかなか行けない場所に行ってきていいよと言われ、お洒落なカフェが多い街に行くことに。平日にスカートを履くことがなかなかないので、それだけで気分が上がり、自転車ではなく徒歩で息子を幼稚園に預け、最寄り駅へ。

通勤電車が懐かしいなと思いながら、眠たくなってきて、現地のことは何も調べず到着すると、方向感覚が分からなくなり、困惑しました。広いタリーズに行くことは決めていたのですが、通勤する方達の歩くスピードが速く、こんなことで迷っていることに申し訳なく思えてきて。
寒いし分からないし、どうしようと思っていたら、ビルの掃除をしていたおじさんを発見!
お店の場所を聞いてみると、「改札の上だよ~。」と笑って教えてくれて、また恥ずかしい思いをしてしまいました。

そういったどんくさいことをすると、必ず思い出す間抜けな経験。
留学先のオーストラリアで、迷子になることは分かっていたので、絶対に覚えておこうと思ったのが、I am lost.(迷っています)という一文。
初日の語学学校から帰るバスの中で、降りる場所を間違えたらいけないと思い、真剣に地図を確認していたら、オーストラリア人の青年が親切に教えてくれて、なんだか急なことに混乱してしまい、停留所名が見事に飛んでしまいました。
ぼんやり覚えていた場所を適当に伝えると、次だよと教えてくれて、一安心。
日本のバスみたいに、次は○○と掲示板に表示されないので、景色だけが頼りでした。

降りてみると、全然知らない住宅街。どうしようと困惑していたら、住宅で駐車していたご夫婦がいて、早速使ってみた「I am lost.」
ホストファミリーの住所を伝えると、わざわざ車の中にあった地図を出してくれて、通過し過ぎているから戻った方がいいと教えてもらい、お礼を言ってバス停へ。
日も暮れ、気温差が激しい秋の気候に心細くもなり、本当にバスが来るのか心配になってきました。
すると、また別の一人の青年が停留所へ。やった~、仲間がいた!と思っていたら、誰も乗客のいないバスが止まってくれて、また決め台詞の「I am lost.」現地で使いすぎ!

事情を適当な英語で説明すると、年配の陽気な運転手さんが、「そういった理由なら料金は要らないよ。ゆっくりバスを走らせるから、ここだと思ったら早めに言うんだよ。」と伝えてくれて、青年もにっこり。バスと彼らの温かさが、心と体に沁みこんできました。
薄暗い中、ゆっくり走らせてくれたおかげで、見慣れた景色が。
「ここ~!!」と叫んだら、ゆっくり止まってくれて、別れ際にお礼を言うと運転手さんが、親指を立てて、「Good luck!」。
優しさに溢れたその言葉と穏和な表情、忘れることはありません。
すっかり夜になり、バス停から走って帰ったら、ホストファミリーの皆が玄関まで迎えに来てくれて、迷子になったと話したら大笑い。温かい場所がここにもあったと感じた、優しい記憶です。

ようやく見つかったタリーズで、温かい紅茶を飲んだらほっとして。
ずっと行きたかった街に自分がいる。たった一度だけ途中下車して、すぐに引き返した独身時代。意地を張っていたけど、本当は寂しかったのだと、今なら素直に言える。