自分の生き方

息子が箱根旅行で買ってきたカワウソのカンちゃん。ズーラシアで以前に買ったカワウソ親子の家族だったと話してくれました。「カンちゃんね、赤ちゃんの時にママと離れちゃったの。そうしたら川に流されて、箱根に辿り着いたの。優しい人が拾ってくれて、おみやげ屋さんで並んでいたんだ。ボクが行った時に目が合って、おうちに連れて帰ってきたら、ママ(ワカちゃん)と再会できたんだよ!弟のカワちゃんも生まれていて、びっくりしたって。頑張って良かったね。」「そんな切ないストーリーだったのね。箱根に流れている川、綺麗だよね。そこで沢山頑張っていたんだね。」「そうだよ、5日もご飯が食べられない時があったの。でもいつかママに会えるって諦めなかったんだ。」息子のサクセスストーリーはいつもハッピーエンド。頑張った先に待っているものがあるって嬉しいね。いつか自分も、思い描いた主役になれ。揉まれ、傷だらけになった先に、見えてくるものがあったらいいな。

姉から連絡があり、久しぶりに姉妹カフェをすることになりました。いつものように電車に揺られ、待ち合わせの場所に行くと、大きな窓から光が射し込み、優しい気持ちに。そして、笑顔で対面し、お互いの近況を話した後、ゆっくりと深い場所へ進んでいきました。ネネちゃんが小学5年生の時の思いがけない内容がそこにはあって。「私とSちんと両親の4人で少しだけお出かけしたの。その後、出かけたからいいだろといういつものお父さんがいて、私達を玄関で降ろすとさっさと一人で車を走らせて、翌日まで帰ってこなかったの。お母さんが泣いて、私が佐賀のおばあちゃんに電話して、状況を説明してって言われてね。すごく嫌だったけど、電話をかけたら、おばあちゃんに暴力を振るわれている訳じゃないからいいでしょみたいなことを言われたの。なんだかがっくり来て、お母さんに話すと作戦が失敗したと思われた。その時の辛さがずっと残っていて、子育てをすると自分をなぞることにもなるから、すごく苦しい時があるよ。」大人三人に強い怒りを覚えると同時に、似たようなこと私も沢山受けて来たなと思うと、姉の痛みを包むよりも解放したいと思い、色々な気持ちが巡りました。「自分の手を汚さないお母さんも、家族サービス少しはしたからいいだろと好き勝手するお父さんも、理解しようとしないおばあちゃんも、まだ小学生のネネちゃんは苦しかったよね。私ね、小学3年生の時に、岐阜の社宅で○○さんの奥さんが遊びに来ている時にお母さんに言われたの。Sはお父さんのことが好きだからお父さんについてもいいのよって。それを聞いた時、意地悪だなって思ってしまった。どんなことがあっても、私が守るって言ってほしかったんだと思う。その時、自分の中で諦めのような感情が芽生えたのかもしれないね。二人とも子供なんだよ。そのまま大人になってしまったのかも。人の気持ちよりも自分の感情が先に来るから、自分達がやっていることが分からないんだと思う。」そう話すと、姉がふっと一息つき納得してくれたのが分かりました。子供のままか、そんなことを呟きながら頷き、そんな中質問が待っていて。「Sちんは小学3年生の時に悟ったんだね。大人だな。でも、Sちんはそれでもお母さんと旅行に行ったりする。その優しさはどこから来るの?どうして?」どうしてだろう・・・すぐに答えが出てきませんでした。「なんでだろうね。ははっ。性善説だからかなあ。9割嫌な思いをしても、1割いい所を知っているからなのかも。お母さんの弱さも知っているしね。でも、さすがに今回の箱根旅行で気づかされた。Rの方がかなり客観的におばあちゃんのことを見ている。はっとなることがあるよ。お母さんの生きがいの為に、私やRが生きている訳じゃないよなって。」そう話すと安心してくれました。「もう怒りのマグマは二人とも溜まっていないんだね。後世まで引きずる宿題が無くなっていたらいいね。」と。
その時、マブダチK君が同じように言ってきたことを思い出して。「100人いたら99人逃げ出すのにSは逃げない。どれだけ辛い思いをしても優しさを向ける。なんでだ?ってずっと思っていたんだよ。ぜっていばかだろって。俺が止めてもお前行くだろ。だから、止めるんじゃなくて傷だらけになったSを受け止められるだけの器を持ちたいなって思った。大阪に行った姉貴の気持ち、俺なんとなく分かる気がするんだよ。Sが要領よくとか、上手にすり抜けて生きろとかイメージに湧かないしきっとしないと思う。でも、そんなお前を見て応援したくなるし、励まされる人がきっと沢山いる。俺が保証する。だからそのままでいい。ただ無茶はするな。」K君、何十年経っても、周りの人達が助けてくれたよ。保証書、まだ有効だった。そして、少しだけすり抜ける方法を学んだ。振り向いたらいつもそこにいてくれた人、どれだけの勇気をもらっただろう。ふと、姉に視点を戻すと、優しく微笑む彼女の笑顔がそこにはありました。幼稚園の体操服がないと大騒ぎした妹。家事の苦手な母がどこにやったかも分からず、不安で堪らなかった私を、まだ小学生だったネネちゃんは小さなお母さん代わりをしてくれました。それがどれだけの負担で、どれだけの愛をもらったことか。覚えているよ、計画的犯行で泣いたことも。あなたがそばにいてくれることを知っていたんだ。

散々笑い、伝えたいことを掘り下げて話した後、ビッグスマイルで別れました。渡された袋には、Kate Spadeのネックスレスが。義兄がアメリカ出張に行っていたことを思い出して。「頑張っているSちんにネックレスを買ってきて。」姉が伝えている声が聞こえてきました。「お姉ちゃん、うちの両親のことで沢山傷ついてきたの。どうか、お姉ちゃんのこと、よろしくお願いします。」大学の先輩でもあった義兄に伝えた言葉、優しく頷いてくれた時間が蘇ってきました。「Sちゃん達姉妹、なんかいいよな。」そんな話をしてからもう20年近く。長い時が経ち、姉の気持ちが彼を通してネックレスという形で届きました。この輝きを受け取りながら、いつまでも似合うおばあちゃんでいたいなと。自分の生き方、大事にしよう。