後悔を埋めていく

6年生になり、慌ただしく学校の準備をしていた夜、ふと息子が伝えてきました。「ママ、明日漢字のノートがいるよ。春休み中に用意してくれていたよね?」「え~!通常のノートは一緒に買いに行ったけど、漢字専用のノートもいるの?!」と慌ててスマホから再度学校の情報を確認すると、スクロールをしていなかったからか、漢字の項目を飛ばしてしまっていました。あちゃ~。「お母さんの確認が足りなかったこともいけないけど、今日学校から帰ってきてすぐに伝えてくれたら、そのタイミングで買いに行けたんだ。お友達と遊びに行っちゃったから、夜に気づくことになってしまったの。でも、まだなんとかなるかもしれないから買ってくるよ。」と近くのお店の開店時間を調べてみると夜8時まで。時計を見ると8時10分。くそ~10分遅かった~と大慌て。お風呂から出て間もなく髪の毛も半乾きで、それでも新学期にスムーズにクラスに馴染んでほしくて、勢いでイオンに向かうことにしました。自転車を走らせ、明かりが見えた時にはほっと安心して。そして、120字の漢字ノートを見つけレジに行くと店員さんが伝えてくれました。「アプリのクーポンをお持ちでしたら割引になります。」と。こんな時間まで開いてくれていたことにも感謝なのに、そんな気遣いを見せてくれてあたたかい気持ちに。育児ってこんな風に社会にも助けられていくんだな、帰ったらまた頑張りますと心の中で呟き店員さんにお礼を伝えお別れ。そして、猛スピードで戻ると夜桜が綺麗でぐっときました。一瞬だったけど駆け抜けた美しい景色、しまっておきます。息子はというと、ダイニングテーブルで反省中。「ママ、もっと早く伝えなくてごめんね。買ってきてくれてありがとう。」「人ってね、失敗から学べばいいんだよ。今度は同じことを繰り返さないでいようって思う気持ちが大事。お互い気を付けようね!」そう言って、一緒に夜食を食べて就寝。そんなこんなで、若干風邪をひいてしまいました。とほほ。

なぜそこまでしたかには、訳があって。2年生の時、卵巣腫瘍摘出の入院中、母が息子を見てくれることになりました。良性じゃなかった場合、いつ戻ってこられるか分からないという中、できるだけ不安にならないように彼には伝えることに。「予定では週末を挟むのは一回だけ。月曜日の持ち物で体操服とか洗っていなかったらおばあちゃんに早めに伝えてね。Rはこういう時しっかりしているのを知ってる。初めて長い時間離れるけど、お母さんも頑張るから一緒に頑張ろう。」そう言ってハグ。目に涙を溜め、強くいようとする息子の魂を感じました。その後、手術は無事に終わり、伝えていた日にちに帰ってくることができ、心の底から安堵。それから1年後、別居に踏み切り、新しい生活が落ち着いた頃、息子がポロっと話してくれました。「ママが入院していた時ね、給食で毎日箸がいるでしょ、それ自分で洗っていたの。」「え~!!おばあちゃんに洗ってもらわなかったの?」「ちょっと心配だったから自分で水洗いしていたの。」・・・。季節は冬で良かったな、そんな事なら割り箸を沢山持たせれば良かったのだけど息子は苦手なんだよな、シンクに食器が溜まりいつ洗ってくれるか分からない不安の中にいるぐらいなら、自分で洗ってしまおうと思った心理状態が分かりました。今ならもう話してもいいと思えるタイミングで伝えてくれた、そのタイムラグがもう優しさなんだよね。「毎日自分で洗って偉かったね!洗剤を付けて洗うやり方、一緒にやってみよう。今話してくれてありがとう。」息子よ、漢字のノートは用意した、新しいクラスも頑張れ!

夜に自転車を走らせた時、外は暗く、コンビニの明かりにほっとした一人暮らしの時を思い出しました。するとその延長上で、大学図書館でのことが蘇ってきて。お世話になっていた製本業者さんは、いつもブックトラックで製本した一式を運んでくれていました。手はごつごつしていて、職人さんの何とも言えない厚みを感じ、綴じる時に込める想いが伝わってくるようでした。あの頃は、業務に精一杯で全然余裕がなかったけど、もし製本業者さんのお仕事を直接見せてもらいたいとお願いしたら、女性の上司は行かせてくれたのではないか、そして業者さんは喜んで受け入れてくれたのではないかと今になって思いました。雑誌がどのように綴じられ、どんな工程を経て製本されていくのか、そこに至るまでの道具や技術を惜しみなく、一司書の私に伝えてくれたような気がしています。受け取った製本雑誌は、電子ジャーナル化と共に少しずつ減っていきました。同じタイトルをvol.ごとに並べていくのだけど、段々隙間ができそれが少し寂しくて。それでも、届けてくれる業者さんの仕事や気持ちは何一つ変わらなくて、本物とは何かを教えてもらっていたのだと改めて思いました。
図書館長の判子をもらいに理系の研究室にお邪魔した時は、薬品の匂いが漂う部屋に通され、椅子を勧められ、これは長居することになるのか?!と思っていると、ビーカーにコーヒー淹れて飲む?と館長である教授に誘われ、丁重にお断りし、講師の方には最近獲ってきたというちょうちょの標本を見せられ、叫びそうになり、わいわい盛り上がりながらようやく判子をもらって事務室に戻ってきました。その話をするとみんなが笑ってくれて。サイエンスって、教科の中でかなり苦手で、その時は本当にどうしようかと困惑してしまい、図書館の匂いを嗅ぐとほっとしたのだけど、その研究室もまた歴史や人の力が漂っていました。歳を取ったなと自分でも思う、だからこそ記憶を辿ると懐かしくて、ちょっと恋しくて。やり残したこと、沢山あるけど、それ以上にその人が持っている“想い”も受け取ってこられたのかな、もしそうだったとしたらそのパッションを忘れないでいよう。どんなときも。