無理なく向いている

母が入院する病院に通うようになり、ふと気づいたことは、病院という雰囲気に自分は合っていて、介護というものがそれほど苦ではないということ。
小さい時から、祖母の入院先にはいたし、祖父の介護を引き受けてきたこと、そして、私自身が現在進行形で通院していることも、理由の一つなのかな。でも、それだけではなく、サポーターという性格が不思議と頑張らせてしまう、嬉しい要素があるのかもしれませんね。

祖父が入院中、文庫を持参しよく通っていた病院では、私服を着ていたのに、可愛らしいおばあちゃんに、廊下で看護士さんに間違えられたことがありました。蛇口に置いてあるコップを取ってほしいと頼まれたので、それぐらいならと思い、手渡しすると優しくお礼を言われ、こちらの方が温かい気持ちになりました。病室に戻ってから母に、看護士さんに間違えられたと話すと、「なんだか分かるわ。だってあなた、病院に馴染んでいるから。」と。

父は、私の進路ついてとやかく言う人ではなかったのですが、実家で仕事や家庭のことで精神的に参っていた時、フォローに回った私に対し、「Sは看護士さんになったらどうだ。向いていると思うよ。」とポツリと言ってきたことがありました。なんだかよく分からないけど、驚きました。父が相当滅入っていたことも、私の存在が父を助けていたと感じたこと、そして看護士という職業を勧められたということも。

祖父が脳梗塞で倒れ、何度も手術を重ね、一時的に寝たきりに近い状況になった時、思考が混沌としてしまった状態で、病院のベッドで私に話しかけてきたことがありました。「お母さん、地図が見える。」と。壁に世界地図が描かれていると空想から話してくれても、正直よく分からなくて、適当に相槌をうっていると、中国大陸だけはしっかりとしていて、その場所の記憶だけはどんなことがあっても、忘れてはいけない所なのだと思うと、涙を堪えるのに必死でした。
その後、様子を見に来た看護士さんにも、一生懸命地図の話をすると、「うんうん、そうなんだね。よく見えるんですね~。」と何事もなく接してくれて、それがどれだけ有難かったか。

おじいちゃん大丈夫かなと不安の中で、それでも戦地でのことは覚えていて、色々な気持ちが錯綜していた時に、普通に接してくれた看護士さんに、私の方が助けられました。もちろん、祖父も話し相手になってくれたことが嬉しかったよう。
医療って、病院って、人を癒すって、どういうことなのだろう。真剣に考えさせられた忘れられない出来事です。

母の洗濯物を、院内で回しながら、色々なことを思いました。看護士にはならなかったけど、図書館という違った場所で、沢山のことを学んだ。そして、その気持ちそのままに、こうしてこの場で書かせてもらっているという今を、大切にしたいと改めて思いました。

「優しそうな娘さんですね。」と隣のベッドのおばあちゃんが母に言っていて、とても嬉しそうにしていました。色々あった娘が、病院にいてくれる。自慢の娘ではなく、母の感謝が伝わってきました。
無理なくここにいる。そして、病院の中で励ますことには、きっと慣れている。