本気のリベンジ

今年度の小学校のクラブ活動は科学。息子が2年連続同じ選択をしたので、理由が気になって聞いてみました。「他のクラブにしなかったのはどうして?」「4年生の最後にインフルエンザにかかっちゃって学校に行けなかったでしょ。その時、最後のクラブ活動があったんだよ。ママと持ち物を準備して、何か食べ物を作る日だったんだよ。何を作ったか、ボクずっと気になっていて、だから5年生こそはって思って、もう一回科学を選んだの。」子育てをしていると、時々思う。子供から教わることも多くて、一緒に自分も成長しているのかなと。息子よ、その選択を全力で応援する!でも、今度はお休みにならないように本気でケアをしなくてはと嬉しい悲鳴。「できなかったことをRがもう一度自分からチャレンジしようとする姿勢、偉いなって思うよ。また新しいことに挑戦するのも大切なこと、でも一つのことを究めようとするのも大事。どれを選んでも応援するよ。」そう伝えると、にっこり笑ってくれました。「持って帰ってこれるものだったら、ママにもあげるね!」と。その気持ちだけで十分よ。リベンジ頑張れ!!

息子の運動会で、グラウンドに立ち、空を見上げたらなぜか高校時代の一件を思い出しました。それは、高2の授業中、家庭科の教科書の表紙がカッターで切り裂かれていた時のこと。びっくりしたものの、こちらの成績が気に入らない一部の人達がやったことだろうと大体の想像はついたので、そのまま使っていました。その話をもし息子にしたら、なんて言ってくれるだろうと競技を待つ間にイメージしたら、吹き出しそうになって。「くそじゃん!」きっと彼はそう言うだろうと。それを思うと、改めて吹っ切れたようで、そして陸続きの記憶を連れてきてくれました。社会人になり、アメリカ育ちの彼と付き合っていた頃、私が持っていたその家庭科の教科書に気づいてくれたので伝えることに。「進学校にいて、本当に厳しい校風だったから、私に八つ当たりもあったのか、高校に置いていった家庭科の教科書の表紙がカッターで切られていたの。でも、中身は無事だったし、母に話しても面倒くさいことになるだけだろうと思って、そのまま使っていてね。大学に進学することが決まって、他の教科書は大分捨てたんだけど、家庭科の教科書って役に立つこともあるかなって、それに自分が越えたものの勲章でもあるような気がして取っておいたの。」そう話すと、「Sらしいな。」と言って笑ってくれました。そうか、これが私らしさなのか。一番大切にしていた日本史の教科書を切られていたら、さすがにブチ切れていただろうか。でも、そこまでしないことを知っていた。誰かは分からないけど、受験に関係のない教科を選んだことは分かっていて。この件をすっかり忘れていたのは、自分の傷にもなっていなかったからで、それではどうしてそんな解釈ができたのだろうと改めて考えてみました。それは、中学校の3年間で驚くほど肯定感が育まれていたから。家庭内ではなく、学校の先生達や仲間達が沢山の水を注いでくれたおかげでした。うまくいかないことが沢山あっても、そばで励まし続けてくれました。止まらない涙が枯れるまで、そばにいてくれたことも。こんな自分でもいいんだ、そう思えたことはやはり何物にも代えがたい経験だったなと。だから、中学校の社会科教員を目標にしようと思った、きっとそこでも恩返しがしたかったのだとこの年になりその時の気持ちを思い出しました。桜が舞うこの場所から伝える想いが、本当に届いてほしい人の心にそっと残ってくれたらといつも願って今日もここにいます。大泣きした後に、晴れ間が見えてくれたなら。

週末、プログラマーのMさんも誘い、広い公園で息子と三人で遊んできました。彼が休憩している間に、親子で本気のフリスビーをしていると、いつものように部活っぽくなってしまい、大盛り上がり。その光景を見た通りすがりの欧米人のカップルが、満面の笑みで私に手を振ってくれるので、こちらも同じ温度で振り返すと、何とも言えない優しい時間が流れました。言葉はない、それでもこんなに真っ直ぐエール交換ができるんだなと。『素敵な光景をありがとう。』一枚が連写されて映像になって、時にスローになった時、あたたかい気持ちが交錯し、その時をまた自分の瓶に詰めたいと思う。そして、木の匂いを嗅いでいたら、マブダチK君がどんな選択をするだろうとふと頭を過りました。若い時に就職した会社が倒産、その残務処理中に声をかけてくれた今の会社。情の深い彼は沢山の恩を感じているはず。そんな中、愛の大きなお母さんが他界。長年続いてきた自営の仕事は、お父さんの代で畳むという。本当にそれでいいのだろうか、広い視野から沢山考えているK君の気持ちを、メッセージを通じて感じました。大学に進学し、沢山悩み、中退した彼。その後、車の旅に出て、茨城が気に入ったから当分そこにいると連絡をくれました。子育ても落ち着いた頃、K君がどの景色を見て自分を取り戻したのか、本人に聞いてからその場所へ行ってみたいと思っています。おばさんがどんな思いで、その旅を送り出し、K君の人生を応援していたか、本当に彼が悩んだ時、伝えるのが私にできることなのかなと。AでもなくBでもなく、ウルトラCを持ってきたら思いっきり笑ってやろうとも思っていて。どんな道も、K君が沢山悩んで出した結論なら、応援してる。その気持ちは、おばさんと同じ。

高1で仲良くなり、彼の実家に遊びに行くようになった学生時代。“くま”と名づけられた大型犬には毎回吠えられ、自営をされているおじさんに挨拶し、ピンポンを押すと可愛らしいおばあちゃんが出てきて、「あら~、Sちゃん!」と言って入れてもらいました。K君の部屋に入ると、驚いた様子。「おばあちゃんが出てきてくれて、顔パスで入れてもらったの。」そう話すと笑っていて。家に隣接した自営の空間。そこに、長い歴史と人の力を感じました。10年後、また再会した時、彼は何を語ってくれるだろう。さらに深みのある人になっていることは間違いない。