学校に行く朝、少し気だるそうに起きてきた息子が伝えてきました。「ちょっと頭が痛い。」「一気に冷えたしね。体温を測ってみようか。」そう言って体温計を渡し、少し経つと返事が。「34度8分。」「低っ!まあ熱はなかったようだから安心したけど、学校に行ける?」と聞いてみると行くと言ってくれたので、いつものように途中まで送り届けました。その後、自宅でパソコンを開いていると、小学校から着信が。慌てて電話を取ると保健室の先生からで、39度まで上がってしまったので迎えに来てもらえないかということ。あれは前兆だったのかと反省やら、思いがけない展開に謝りながら、今すぐ向かいますと電話を切り、急いで出る準備に入りました。一旦落ち着き、深呼吸。自転車の荷台に乗せられるような年齢はとっくに過ぎ、高熱の中、歩いて帰らせるのは本人もきついだろうと思いついた名案。ほとんど身長が変わらなくなった私が、息子の自転車で行けばいいのかと閃き、ちょっと恥ずかしかったものの真っ黒の自転車にまたがり小学校へ向かいました。職員玄関に着き、ピンポン。すると若い女の先生が事情を聞き、呼びに行ってくれたので、玄関で待たせてもらっていると、おでこに冷えピタを付けた息子が保健室の先生とやってきて、思わず笑ってしまいました。「ご迷惑をおかけしてしまいすみません。」そう言いながらもまだ半笑い。「急に熱が上がっちゃったみたいなんです。」「R、がんばった、がんばった!」と背中を支え、二人でお礼を言って会釈し、その場を離れ、振り向くとまだ手を振ってくれている優しい先生がいて、急に学校の図書室で勤務していた頃のことがふわっと思い出されました。少し年上の保健室の先生は、私のことをS先生と呼んでくれて。「お互い一人仕事だから、励まし合いながら頑張ろうね!保健室は敷居が高いけど、図書室は入りやすかったりする。表には出さなくても、いろんな気持ちを抱えている子がいるよ。図書室に行って、S先生が笑って迎えてくれたら嬉しくなる子がきっと沢山いると思うんだ。学校の中で、大切な場所だって私はそう思っているよ。」みんなの居場所になってあげてほしい、保健室の先生の深い優しさが届き、泣きそうになったのが昨日のことのようです。その想いをここにも繋げるんだ。
その後、私が迎えに行ったことでほっとした息子は、自転車で帰れると言ってくれたので、冷えピタを外し、荷物を預かりました。すると、笑顔で門を開けてくれたのはいつも子供達を見送ってくれる監視員さん。あたたかい世界とももうすぐお別れなんだな、そんな気持ちで挨拶し、息子を先に帰しました。荷物を抱え早歩きで帰宅すると、言われた通りにパジャマに着替え、自分の部屋で寝ている息子がいて。彼の繊細さは、急に体に出る時もある。今季一番の冷え込みと、気圧の変動、そして軽い風邪の症状が一気に合わさり高熱になったのだろうと。時間と共に落ち着くはず、そう思っていると、のそのそと起きてきて再度熱を測ると、微熱になっていて一緒に安堵。「お母さんも、気づけなくてごめんね。外で調子が悪くなる辛さは本当に分かるから、よく乗り切ったよ。明日、念の為小児科へ行こう。」と話し、すっかり食欲も戻っていたのでほっとして就寝。そして、翌日0歳の時からお世話になっている小児科の先生に検査をしてもらうと、インフルもコロナも陰性でただの風邪だと言われ、安心して帰ってきました。「○○先生の顔を見ると落ち着くよ。」と息子。ほわんとしたあの雰囲気にずっと助けられてきたね。その日は土曜日だったので、安静に過ごし、日曜日はすっかり元通りになっていたので、息子が伝えてきました。「ママとキャッチボールしたい。」最近友達との時間を大事にし、離れるのは時間の問題だと思っていたのだけど、泣けるじゃないか。急に熱が上がる可能性を考え、近くの公園を選び、本気のキャッチボールとフリスビーで大盛り上がり。いいひとときをありがとう。
そして、担任の先生との最後の面談がやってきました。気合いを入れて校舎の中に入ると、いきなり階段でずっこけてしまい、ダサい自分に笑ってしまって。一気に緊張は緩み、教室の前で先生にご挨拶。早退時のお礼を伝えると、学校生活での様子、成績のことを話してくれました。もっと工夫をすれば数字がついてくると、教員の立場からアドバイスをしてくれた先生。こちらは、息子が自分でスイッチを入れるその時を見守っていて、ちょっと甘い母親なのかもしれないなとも思ってみたり。そんな時、なぜか急に高校2年の担任の先生との会話が再生されました。体育の教員であり、野球部顧問の30代半ばの男の先生が、二人になった時、質問を投げかけてくれて。「○○は、いつから定期テストの勉強を始めているんだ?成績上位にいて、どういった気持ちで取り組んでいるのか聞いてみたくなったんだよ。」「中間テストが終わった次の日から期末テストの勉強をしています。私、本当はこの高校、志望校じゃなかったんです。陸上部の春の大会で不甲斐ない結果に終わり、不完全燃焼だったので、3年生の秋の大会に向けて長距離の選手に選ばれるために週末も休まず走っていました。体育の先生で陸上部の監督には体を休ませることも必要だと言われていたのに、その言葉を振り切って走っていたら、大会直前で両足肉離れになり、補欠にも選ばれませんでした。その時みんなはもう随分前から受験勉強をしていて、私は大会が終わってから始めたのですっかり成績は落ち、志望校からひとつランクを下げたんです。その時の悔しさがずっと胸の中にあって、人と同じだけ頑張っても全然結果が出なくて、だから何倍も努力したら、文系と理系に分かれてようやく2年で結果がついてくるようになりました。でも、少しでも気が緩んだらあっさり下がります。自分のライバルは自分だけなのかも。」それだけ話すと、一緒に微笑んでくれました。「○○に迷いがない、それって大事なことだぞ。スポーツからも沢山のことを学んだんだな。」そんな言葉をかけてくれた先生は、体育学部の教育実習生の女の先生がクラスに来た時、私にひと言。「体育の中でも陸上が専門の実習生なんだよ。吸収してこい!」どんな形であれ、得られるものは自分の中に入れていけ。お前の後悔、人生の大きなスパイスになるぞ。先生はそう伝えようとしてくれたのではないか、何十年も経って改めて気づき、胸がいっぱいになりました。走り続けるよ。
ふと現実に戻ると、真正面に座っていた担任の先生が後ろの黒板を指し、伝えてくれました。「あと、卒業まで51日なんです。」と。黄色で大きく書かれた『51』という数字、イチロー選手の背番号だなと別の方向に意識が飛びそうなのを堪え、1日1日を大切にしている先生と子供達の笑い声が聞こえてきそうで、感無量でした。今この瞬間がもう光なのかな。誰もが持っているいくつものきらめき、この場所に残し続けていきたい。