朝方冷えるのか、浅い眠りの中で起きるので、また自分が見た夢を覚えていました。どうやら日本シリーズ前で、福岡ソフトバンクホークス対埼玉西武ライオンズの試合。同じパ・リーグ同士なので、この時点で間違っているのだけど夢の中なのでお構いなし。そして、息子にママはどっちの球場に観に行きたいのと聞かれ、「ハマスタ!」と答え、ずっこけている彼がいました。はっと目が覚め、何でもありだなと相変わらず自分の夢にツッコみたくなって。でもこの夢には、今の願望がちゃんと隠れていることが分かり、嬉しくなりました。今年の1月、佐賀の祖母の他界で葬儀へ参列。その後、空路ではなく一人で、新幹線で帰る選択をし、博多駅へ到着。外に出て、ベンチに座り、ペイペイドームはどっち方面だろうとキョロキョロ。屋台はどのあたりに連なっているのかな、全然時間がないけど、また来られた時のお楽しみにしようと宿題を残しました。そして、8月の埼玉旅行では池袋から西武線に乗車。途中で乗り換えたら西武のドームに行けるんだなと。ハマスタは近いのに、ヤクルト対DeNA戦を息子に誘っていても神宮がいいと振られまくっていて、密かな希望が夢の中に凝縮され、深層心理って面白いなと思った不思議な朝でした。いつか一人でも巡ってやる!
昨日は美容院へ行き、気持ちが少し上がったので、勇気を出してクローゼットの奥にあったアルバム半分を引っ張り出してみました。出てきたのは、20代前半のおそらく私の核となった大事な時期でした。日本料理店で働いていた学生時代、成人式に振袖を着て、その姿をどうしてもスタッフのみんなに見せたくてお店に行くと歓迎してくれました。店内で着物を着た仲間と、そして調理長をはじめ調理場の板前さんが手を止め、一緒に映ってくれていて。ありがとうの気持ちを伝えたくて、それをあたたかく受け止めてくれた仲間に助けてもらっていたのだと痛感しました。沢山育ててもらったね。そして、大学4年になり、中学校の教育実習へ行くと社会科の恩師が、私の授業風景をいろんな角度から撮ってくれていました。そして大事なことを思い出して。実習前に挨拶へ行ったその日から、私のことを○○先生と呼んでくれた恩師。実習期間が終わり、1年生みんなの先生達に慰労会をしてもらった別の日も、そう呼んでくれました。そこにはいつも相手に対する敬意があり、上下ではなく横にいようとしてくれたのかもしれないなと。教育実習記録を受け取りに最後に中学へ訪れると、ポケットアルバムにびっしり詰まった写真とクラス写真も一緒に渡してくれました。辛くなったらきっとこの写真が元気をくれるからと。24年前のキラキラがそこには収められていて。恩師の想いに感謝が溢れ出しました。さらに時は進み、塾の講師をしていた頃の写真が。小学生や中学生の生徒達、先生達や保護者の方、そして司書への道を後押ししてくれた同僚とも一緒に映っていて、胸がいっぱいでした。みんなに応援され、もう一度大学へ。司書講習は短期集中講義だったので、連日睡眠不足でそこにいた生徒がみんなそうで、励まし合いながら日々を過ごしていて。そんなだったから、写真なんて撮る暇どこにもないと思っていたのに、数枚が収められていました。それは、講義の途中でいなくなり、食中毒で吐いた後一睡もしないで試験を受けに行くと、ノートをまとめてくれていた友達二人と講義室で写っていたもので、どっと泣けてきました。彼女達の優しい雰囲気は滲み出ていて。ありがとうと一緒に青春したねと伝えたい。その時受講した司書メンバーと打ち上げをした写真も一枚あって、ほとんど思い出せない自分がいました。飲み会に誘われたのだけど断っていたことだけ覚えていて。もう一回誘ってくれたのか?隣に座ったのはたまたま大学の男の先輩で、話が盛り上がったことだけぼんやり思い出しました。必死過ぎると記憶って本当に薄れるんだな、でも笑っている自分がいて。大事な司書仲間、今どうしているだろうか。
そして、驚くことに塾の講師をしていた頃の教室長の書類が出てきました。そんなことさえ忘れていたんだなと。駆け抜けた20代、いろんなことがあった。
教室長の試験は、本社のあるビルへ。ビジネスマナーや電話応対、筆記試験や面接などが数日あり、最後に一緒に受けた方達の前で一人ずつ感想を述べる時間が待っていました。自分が教育実習に行った時、テストを返してもらった子が、塾の先生に見せると言っていて、一番最初に見せたいのは親ではなく塾の先生なんだとそこに色々なものを感じた、セカンドホームのような子供達にとって時にそんな存在になれたらと改めて思っていますと、その時自分が感じた想いを素直に話すと、目を潤ませてくれる先生達がいました。そして、塾の講師を辞め、大学の司書講習中、社会人の方も多いから図書館で勤務経験のある方は教壇で話をしてほしいという授業があって。すっと自然に手を挙げ、教授に、図書館に関係ないかもしれないですけどいいですか?と小声で伝え、頷いてもらったのでマイクを持ち、お話をさせてもらいました。塾の講師をしていて、親との関係が上手くいかず一人で抱えている子もいた、本音を話してくれる子もいた、そこに人がいるということがどれだけ大切なことかいろんな場面で感じた、私もいろんな感情を一人で抱え、図書館の存在に助けられた、そういう方達の拠り所であってほしいと伝えると、すぐ近くで座っていた40代の女性が泣いてくれました。司書を目指す者としても、中学生の男の子を持つ親としても響いてくれたのだと。
教育実習のアルバムの中に、生徒達の手紙も保管されていました。先生の道徳の授業に感動した、ようやく自分のことが好きだと言えるようになったと、勇気を出して笑顔で自分の話をしてくれた先生のこと絶対に忘れない、私もいつか先生のように言えるようになりたいです。その文面を読み、心に残ってくれたのは社会科じゃなく道徳の方かい!と思うと同時に、これが私の届けたいことで、そんなに昔から変わっていなくて、ライターの道を選んだこと、みんなは喜んでくれるかな、そんなことを思いました。塾の講師時代は実習の話をした、司書講習は塾の話をした、司書になり誰かがほっとしてくれたらと思った、そしてライターの今は、全ての想いを総動員したいのだと。その当時よく聴いていたAQUAの『カートゥーン・ヒーローズ』、不思議な世界観で、気が付いたら元気になっているそんな20代の自分を思い出しました。この曲と一緒に走った20年以上前の記録物にまたエネルギーをもらって。ということは、残りのアルバムは中学高校時代?!苦しい事だけじゃないよ、いつか陽が当たるから。それを伝えたくてきっとここにいる。