図書館で借りたい本があったので、久しぶりに向かいました。検索をかけると、いつも出るはずのレシートが出なくてやや困惑。そんな日もあるかと思い、所蔵場所が1階だと分かり、探し始めました。が、見つからず記憶違いか?と、再度、検索機画面へ。スマホで内容を撮り、もう一度ぐるぐる歩いてみたものの、何かが違うと感じ、司書の方に聞いてみることにしました。すると、所蔵場所が3階だと分かり、丁重に謝られて。いやいや、そちら側で経験済みなので気にしないでくださいねと思いながら、笑ってお礼を伝えお別れしました。大学図書館で勤務していた頃、相互貸借といって他大学等との業務をさせて頂いていた時、プチハプニングが発生。文献複写依頼ではなく、現物貸借の方で、その本ごと送る為にまずは検索をかけてみました。すると、所蔵場所は1階、貸出可になっていたので書架にあるはずだと探しに行くことに。ところが見つからず、周辺の棚に紛れているかもしれないと目で追っても、発見することはできませんでした。ちょっと考え、先輩達にも相談すると、誰かが書庫にあるのでは?と言い出し、探しに行くと見つかって。誰でも手にできる開架の棚から、書庫に移す時は、所蔵場所も変更しなければならないところをスルーされてしまっていたのだろうと。見つかって良かったとみんなで安堵し、いろんな人の意見を聞くって大事だなと改めて感じた日。そんなこんなで今回も、1階を何度も歩いたことで意外な本も見つかり、いい運動だったなと嬉しくなりました。新聞を読みに来られている何人ものご高齢の男性、常連さんなのはすぐに分かって。図書館を好きでいてくれてありがとう。
ぎっくり腰になった時、息子が聞いてきました。「インフルとどっちが辛い?」と。「インフルは熱が出る辛さがあるけど、体はなんとか動けたんだよ。ぎっくり腰は熱の辛さはないけど、腰の痛みは大分きつい。どっちもどっちかな。」「今ブリッジできる?」「できる訳ないでしょ!!」とわいわい。それから快方へと向かった後、こちらの素朴な疑問をプログラマーのMさんに聞いてもらいました。「急にランニングを始めたら膝を痛めるし、強めのストレッチをやったらぎっくり腰になったの。手術の影響で一気に筋力が衰えたことは分かったんだけど、どうしてスキーは大丈夫なんだろう?」「きっといい感じで脱力しているんだと思うよ。」なるほどなるほど。傾斜を滑っているから、変な所に力を入れていないのかなと妙に納得してしまいました。そういえばヨガの先生も、レッスン中によく脱力という言葉を使っていたな。ピンと張ってしまいそうな時ほど深呼吸、大事だね。
最近になり、とても大事なことを思い出しました。実家の仏壇の前で、いつもお経を読んでくださっていた住職さんのお寺が、修繕をすることになり、祖父が考えた時間。それは、とても深く濃いものでした。数十万円の寄付をすれば、お寺の片隅に名前が残る、お金は自分が出すけど○○さ(父の名前)が出したことにしようと。おじいちゃんだけが呼ぶ、父の愛称でした。名前の上を二つ取って“さ”を付ける。さんじゃないことに、祖父は父の近くにいたいという気持ちを感じていました。そして、自分の名前ではなく父の名前で寄付をする、それは家の主を交代する、わしの時代は終わったから頼んだぞというメッセージでもあって。それでも、そんな気持ちを受け取ることなく、父は家を出ていきました。その後、お寺に記載された父の名前。「こんなことになるなら・・・。」といろんな感情を祖父は私にぶつけてきました。怒りと悲しみ、落胆、それはもう大きなもので。この地で家族を支え、この地に自分達も支えられてきた。だから、お寺に少しでも貢献できるならと寄付と父の名前を提案した。それは、何よりのありがとうの気持ちだったのではないかと。その想いに気付かないふりをして出ていった父を、祖父の代わりに私はずっとどこかで怒っていたのかもしれません。でも、父はおじいちゃんの葬儀を喪主として立派に務めあげてくれました。いろんな人の負の感情をどれだけ受け止めてきたかわからない、お父さんは飛ぶ鳥跡を濁しまくりだったでしょって思っていたのだけど、みんなの前に立った父は、どこか寂しそうで、どこか感謝をしているようで、そんな姿勢が列席された方達の涙を誘いました。色々あったね、でもお義父さん、喪主として見送ってくれて嬉しかったと思うよ。親戚の方達から感じるそんな優しさに、父への怒りも小さくなっていきました。棺桶に入り、火葬場で本当に最後のお別れの時、祖父の顔が見えなくなると父の目から涙がこぼれて。最期の時には、誰も間に合わなかった、でも父が流した涙と感謝は、おじいちゃんに届いていたのではないかと思いました。お寺の件やっぱり正解だったな、Sちゃん、何があるか分からないな、待っていて良かった。そんな祖父の心の言葉を、父に伝えるのも私の役目なのかなと。「天国と地獄ってあると思うか?」おじいちゃんが何気なく聞いてきたことがありました。「閻魔様が本当にいるかは分からないけど、おじいちゃんは天国に行けるよ。」「どうしてそう思う?」「国のためにも、家族のためにも戦ってくれたから。」そう話すと、柔和な表情で笑ってくれました。棺桶に入れられた杖と本、その旅の続きはどうなっているのだろう。お盆の時はみんなの様子を見に帰ってきてくれる、本当にそんな気がするのは私だけだろうか。