もう一つの世界

すっかりお世話になった恩人の不動産の営業Mさん。一番最後に会ったのは、マンションのカギを取りに行った引っ越しの前日でした。判子を持参し、受け取りましたと書類に捺印しようとすると、台紙を敷いてくれました。すると、私の様子を見て「左利きだったの?!」と聞かれ、大盛り上がり。「そうなんです~。右手で押しやすいように右側に置いてもらっても、結局手がクロスしてしまうんです。日常の中でそんな事ばっかりです。」「そうだよね。一日だけでも左利きの世界になったら、右利きの人はその不便さに気づくだろうね。」「そうですね。左利きの世界に行ってみたいです。一応世界全体では、9人に1人が左利きなんですけどね。日本に少ないのは、小さい時に直されてしまったりするからかも。私も箸と鉛筆は幼稚園時代に矯正されたんですけど、脳に影響している気がするんです。」「それはあるかもね。彼女も左利きなんだよ。」と隣に座っていた若いスタッフさんもにっこり笑いながら、こちらの話を聞いてくれていました。最後の最後までわーわー騒いでいて楽しそうだなと思われながら、話に入ってきてくれて。思いがけない所で左利き仲間を発見!やってみたいことリストにある、左利きだけが集まる合コンを開催したら声をかけるよ~なんて心の中で盛り上がりながら、笑顔で退店しました。左利きは、左利きを呼ぶのかもしれない。左手に集まるパワーを大切にすることにしよう。

とっても困ったことといえば、卵巣腫瘍摘出当日の病院内。点滴を付ける際、看護士さんに利き手を聞かれた時に困惑してしまって。左利きなので、右手に点滴を付けてもらった方が本当は便利なはずが、食事は右手を使うので、何を優先させるか本当に悩んでしまいました。さんざん迷った末、左手に管を通してもらうことに。食べることは生きること、そして、左には力強さみたいなものを感じているから。結果的に手術は長引くこともなく、輸血をする必要はなくなったものの、誰かの血がもしかしたら左手を通って全身に行き渡ることを想像すると、手術前に不思議な力が湧いてきました。人が人をこういった形で助けるってすごいことなんだなと。O型の血、それは本当にもしかしたら、読者さんの血だったかもしれませんね。
漢方内科の主治医、ホルモン治療が終わったことに安堵してくれたものの、また別の心配をしてくれました。「先生、右側に残した卵巣、生理が始まってまた血が溜まらないかちょっと不安なんです。」「そうだよね。そっちにも腫瘍があったの?」「あったんです。MRIに写ったのは左側の腫瘍一個だったんですけど、左に二つ、右にも一つあって、右側は悪い所だけ取って半分残っているんです。」「そっちにもあったんだったね。ちょっと気を付けて様子を見よう。」そう言って、婦人科系の漢方を増やしてくれました。日常の中でのストレスは相当なものだったはず、そんな中でのホルモン治療、よく頑張ったね、もう一回手術することがないように右側の卵巣を守っていこう、そんな先生の気持ちが伝わり胸がいっぱいでした。何とも言えない気持ちの悪さがあった一年の治療、チョコにときめかず、やっつけでご飯を食べていました。ホルモン治療が終わり、体質が戻ると、美味しくご飯が食べられる喜びを感じていて。それでも、ホルモン剤が息子を一人にさせない選択になるなら、いざという時はもう一度戻ろうと思っています。

かなり前、あるバラエティ番組の中で、島田紳助さんが小泉孝太郎さんに伝える一幕がありました。「もう随分時間が経ったことなので言えることなんですけどね。お父さんの小泉さんがまだ郵政省の大臣でいた時、僕の番組に出てくださったことがあったんです。始まる前にそっと伝えてくれて。『子供達が番組を見るかもしれないから、前の妻のことだけには触れないでほしい。それ以外は答えるから。』って。その時は、子供を守るお父さんの顔でした。」そう話すと、何とも言えないじーんとした表情をした孝太郎さん。その話を聞き、私も堪らない気持ちになり、親になるってこういうことなのだと教えてもらったようでした。小泉首相が、総理大臣ではなくなった後、次男の進次郎さんが言った、「オヤジが生きて帰ってきた。」という言葉が忘れられなくて。どれだけの激務と責任を背負っているか、その背中を見ているからこそ本音を漏らした子供心に、親子の愛を感じました。2001年夏場所、貴乃花関が、けがをしながら優勝を成し遂げた大相撲の土俵の上で表彰状を渡した後、発してくれた小泉首相の言葉が今も胸に残っていて。「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」ドラえもんの道具であるコエカタマリンをあの場で使ってくれていたら、“した!”の部分がどれだけ大きな形になっていただろうなと、気持ちよく表現してくれたあの言葉は、自分が弱ってしまいそうな時にポンと流れる隠れたエールになっています。

4年半ぶりに会った姉から随分面白い話を聞くことができました。「私ね、空手を始めたの。」は?「下の子と始めて、一緒に道場に通っているんだよ。」「全然イメージにないし。」と呆然としているとこちらのリアクションに笑いながら続けてくれて。「この間なんて、練習始めてすぐに帰りたいって言われて、家に帰ってから、ママはもうちょっと発散したかった!って怒っちゃってね。空手を始めたらちょっと楽になったの。」人は見かけによらないな。入院先で久しぶりにLINEのやりとりをしたら、空手少女のスタンプが入ってくるからなんでだろうと思っていたら、ようやく答え合わせができました。ネネちゃんが空手少女だったのね!歳月ってすごいな。空手着を身に付け、押忍とやっている姿を想像するだけで笑ってしまいそうになって。姉が掴んだ世界は、彼女の辛さを溜めないでいてくれた。Sちんもやりなよ!私は野球少女に徹することにする。息子と本気のキャッチボールが待っているから。