思い出すこととは

息子の学校行事、音楽会の日がやってきました。分かってはいたけど、気負って睡眠不足。少しでもすっきりした頭で学校へ向かいたかったので、正直に伝えることに。「お母さんね、やっぱり眠れなくて、少し休んでから音楽会に行きたいから、朝は送れなくてごめんね。」「分かった。寝坊しないで来てね。」そう言って玄関先でバイバイ。その後、短時間だけ仮眠を取ることができ、ほっとして身支度をしました。その時ふと、富士山の野外活動に行けず、仲良しのKちゃんに連絡をすると返信してくれた内容を思い出して。『野外活動は残念だったけど、運動会や音楽会、来年の修学旅行を楽しみにしているね。』共に歩んできた友達がいる、その彼女が少し先の未来を待っていてくれて励まされました。さあ、学校へ行こうか。

急に寒くなり、いろんな病気も流行り出していたので、マスクをしてささっと体育館の中に入ると、すでに沢山の保護者の方がいて、後ろの方に座りました。各学年の合奏や合唱を聴いていたら、息子はもう5年生かと改めて思って。あんなに小さかったのに、大きくなったな。時が経つのはどうしてこんなに早いのだろう。そんなことを思っていたら、他の学年が終わり、前の席が少し空いたのでずれて座ると、息子が登場し、私の顔を見るとほっとした笑顔を見せてくれました。寝坊せずに来たよ、短時間でもあなたの姿覚えておくよ、行事に出られた日を大事にしよう。そして、慣れないビデオを慣れない右手で構え、画面越しで息子見ると、その近くにはKちゃんの娘ちゃんがいて、涙が溢れそうになりました。幼稚園でも同じクラス、お祭りでも隣同士になり法被姿で一緒に踊る二人を見て、微笑ましくなった日。そして入学式、大きなランドセルを背負って、桜の木の下で二人並んでカシャリ。その二人が同じリコーダーを持って演奏している様子を見ていたら、いろんな出来事を思い出し、胸がいっぱいでした。幼なじみ、やっぱりいいなと思った優しい音楽会。壇上からどんな景色が見えた?あたたかく見守っているのは、先生達も一緒。そのぬくもりとやわらかさをポケットにしまって、また一学年上がっていこう。卒業証書を手にした時、何を思うだろう。そんな気持ちで、ビデオを閉じ、息子に小さく手を振ると、はにかみながら振り返してくれました。そして、帰ろうとすると「Sさん!」と声をかけてくれたのは、仲良しのKちゃんでした。驚いて、「おっ!」というこちらのリアクションは相変わらずで、お互い嬉しくて笑ってしまうのもいつもと同じ。パズルがカチッとはまる瞬間でした。なんだろう、彼女といると自分が自分でいられる。母親になって、まだまだ不安だった頃に出会った友達。彼女の存在はいつだって大きかったのだと、小学校の体育館で改めて思いました。そして、途中まで一緒に帰った時間。「コンビニでね、スマホ決済する時にどっち向きにすればいいか毎回戸惑ってしまう~。」と久しぶりに会えたのに、どうでもいい話をしてしまって、それでもKちゃんは「分かるよ~。」と笑ってくれました。どれだけ間隔が空いても、二人の間に流れる時間はふわふわしていて、いつも雲の上にいるようで。そして別れ道へ。「またゆっくりお茶しよう!」と彼女。ちょっと即答できないでいると、伝えてくれました。「暖かくなってからで!」そのひと言にどれだけの想いが詰まっていたことか。Sさんがいい時が一番、私の前では無理しないでね、でも本当に困った時は連絡してきてね、また笑って会おう。彼女はそういう人。どんな時も、そばにいてくれてありがとう。卒業式は大泣きしよう。

その後、温かい気持ちのまま、年に一度の検診へ。定期健診に加え、乳がん検診を追加し、今年は超音波を受診しました。52歳で乳がんが発覚した祖母、見つけてくれたのは、たまたま通っていた外科の先生の触診でした。その後、総合病院で検査をすると、進行していて余命半年と宣告されたのだそう。その時、おばあちゃんは何を思っただろうとずっと考えていました。自分が最後にできることはなんだろう、そう考えていたような気がしていて。養子で祖父母の姓を名乗ってくれた父、それでも祖父とはうまくいかず、そんな中祖母は父に惜しみない愛情を注いでいるのを子供ながらに感じていました。18歳で佐賀から名古屋へ就職。子供を授かり、19歳という若さで結婚、そして祖父母との同居。姉が難産で生まれたこともあり、4年空けて私が生まれました。そのすぐ後に、発覚した乳がん。そこから苦しい闘病が待っていようとも、父にかける愛情はあまりにも大きくて。お父さん、おじいちゃんとは馬が合わなくても、おばあちゃんの存在は心地良かっただろうなと。8年もの月日を病と闘ってくれた祖母、亡くなる1か月程前に岐阜へ単身赴任することになり、もう危ないという時、父が駆けつけてくれました。姉と私は自宅で待機、病室にいた父は人目も憚らずに泣きながら祖母の背中をさすり続けたんだそう。後から母が教えてくれました。父はずっとクールで、幼少の頃から本当に何を考えているのか分からなかった、そんなお父さんの心の中にそんなあたたかい涙があったとは。おばあちゃんはそのぬくもりを持って逝ったんだなと思うと、やっぱり祖母の人生は苦しかったけどいい人生だったのではないかと、どうしようもない父親だけど、その情景を思い出す度、お父さんありがとうと思うのです。私達の分まで、おばあちゃんに愛情を届けてくれたこと、忘れてはいけないのだと。

検診が無事に終わり、スーパーハングリーだったので、マックシェイクとチキンクリスプを流し込み、慌てて息子を迎えに行くと、自分が元気でいることの有難さがこみ上げて。「おかえりなさい。音楽会、上手にできたね!」「ママ、すぐに分かったよ!」おばあちゃん、ひ孫には会えなかったけど、この光景見えているよね。私が見ているものは、祖母も見えているのではないか、葬儀の後そんな錯覚に陥った。もし本当にそんな不思議があったとしたら、息子の笑顔はおばあちゃんの心を温め続けてくれているだろう。父の手のぬくもりと息子の笑った顔、その温度は重なった。